長谷川一夫さんは大石内蔵助の役をなんども演じたと思うが、広く話題になったのは昭和39年の、NHK大河ドラマの赤穂浪士であった。
当時、映画界の大スターがテレビ出演するということは、あってはならないことであったらしい。
討ち入り場面の放送時の視聴率は、歴代何位と言うくらいのものであった。
しかし長谷川一夫という役者の名前を言って分かる人は今何歳くらいまでの人であろうか。大昔の人になってしまった。
赤穂浪士の討ち入りの話は、いろいろな題名で映画やテレビで制作されているが、代表的なのは「赤穂浪士」と「忠臣蔵」である。
赤穂浪士とすれば討ち入りをした47人に視点をおいた物語になり、忠臣蔵とすれば討ち入りに関するすべての物語を含むことになる、というような説明がネットにあったが、分かったようで分からない説明である。
赤穂浪士の話は暮れの定番なのになぜ今赤穂浪士なのか、ということになるが、むろんこのブログのテーマに関することだからである。
NHKの赤穂浪士が制作される6年前に、長谷川一夫さんは「忠臣蔵」と題する大映映画に大石内蔵助として出演している。この作品がなかなかいい。
大石内蔵助が東下りを終えて、主君浅野内匠頭の正室瑶泉院に出府の挨拶をするが、内蔵助は瑶泉院が知りたい仇討の話は一切しない。
瑶泉院にしてみれば、亡き夫が唯一頼りにしていた家臣。その内蔵助が江戸に出できたからには当然主君の仇討が目的のはず。瑶泉院は腑に落ちぬ思いをもったまま奥の部屋に引き取る。
侍女が大石の不甲斐なさをなじるが、瑶泉院は「大石ほどの人物。深い考えあってのことでしょう」と述べる。このセリフを書きたくて長い前置きになってしまった。このときの瑶泉院は山本富士子さんが演じていた。
大石は討ち入りの前夜にも瑶泉院を訪れる。「さる西国の大名に召し抱えられることになりました」と、いとま乞いを告げる。
「忠義の心も忘れたか」と、さすがの瑶泉院も今度は堪忍袋の緒が切れて、大石をなじり怒って席を立つ。
何も語らず辞去した内蔵助は、降りしきる雪の中、今生の別れを心に秘めて坂道を戻る。「南部坂雪の別れ」である。
昔の大人は深い考えあっての言動であった。私が瑤泉院の言葉を記憶しているのは、あの最初の面会の時の瑤泉院の言葉は、この言葉が一番ふさわしいと思うからである。
信頼している家臣が意に反することを言う。それをすぐになじるのではなく、これほどの人物が言うのだから何か深いわけがあるのだろう、と思うことが信頼である。
昔の大人と言うときは私は子供の時である。昔の大人は深い考えあっての言動であった、と言っても、そう聞かされていたというだけで、実際深い考えに基づいた言動であったかは分からない。
大人になったら深い考えあって話し、行動するものなのか。そんなことはどうやらないようだ。「深い考えあってのことでしょう」というのは、映画やドラマの中でしかないことになる。
こういう話になると政治家の話になってしまうのであるが、政治家は深い考えあって政治をしているのであろうか。
深い謀(はかりごと)をもって政治をしている人は何人も見かけるが、深い考えをもって政治をしている人を見かけない。
思い起こせば深い考えをもって話したり行動したことがなかった。何より短気であるから何事にも素早く反応することがいいことと思っていた。人生反省の山である。(了)
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