「浄められた夜」という曲がある。ちょっと気になる曲名である。
シェーンベルグが25歳の1899年に、弦楽六重奏、弦楽合奏で演奏するために書いた曲である。現代ではピアノでも演奏されるらしい。
男と女が寒々とした月明かりの林の中を歩いている。女は自分の体に子を宿しているが、あなたの子ではないと告白する。(そんなことになってしまったいきさつが少し述べられている)
男は、生まれる子に罪はない、というようなことを言って、自分の子として産んでくれと言う。きみの魂の重荷にしてはいけない。きみの温かみが見知らぬ子を浄めるだろう。という内容である。
音楽そのものはロマン派の終焉という人もいるし、難しい現代音楽の始まりという人もいる。美しいという人もいるし、不気味だという人もいる。聞く人によってこれだけ印象の異なる曲も珍しい。
「浄められた夜」の話は出来過ぎである。
つき合っている女性が「実は他の男の子を宿している」と言っているのである。それも自分から母親としての喜びが欲しくて、他の男に身を委ねてしまった。できちゃったということではない。まさに故意犯ではないか。
こんな女の告白を理解できる男はいるのだろうか。とっとと消えてなくなれ、ということではないか。なぜ男は許したのか。
父親が誰であるかは女性にしか分からない、という古典的言い伝えがある。
民法の「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という嫡出子推定規定は、まさにこのことを受けての規定である。そうしないと収拾できない事態が日本各地で頻発したのであろう。
しかし今では、真実の父の主張を不当に難しく、妨げるものとだとして批判されている。
しかしこの規定によって助けられた、という男女の関係というものもあったのではないだろうか。と言うより大きな貢献をした規定ではないだろうか。
これからはDNA鑑定もあるから、このような推定規定もいずれ削除されるかもしれないが、誰の子かはっきりさせないことが幸せなこともある。もちろん私には経験もなく、判らないことであるが。
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