池袋のデパートを思う

つぶやき

 ストライキと言っても今の若い人には判らないことかもしれない。
 「みんなで仕事をしないでさぼること」と説明したら余計何が何だか判らなくなるかもしれない。

 池袋の西武が昨日ストライキを行った。正確には労働組合が、と言うべきであるが、デパートのストライキは60年ぶりのことらしい。

 昔から西武鉄道はストライキをしない会社であった。鉄道とデパートは経営母体が違うとしても西武がストライキというのは初めて聞く言葉である。

 各局のテレビニュースはこのストライキを珍しいものとして報道した。
 若い人にもマイクが向けられ「初めてなので見に来ました」とか、「大学が政治経済学部なので勉強のため来ました」とか答えていた。

 確かにストライキが遠いものになってしまった。
 憲法が保障する労働者の団結権であるが、国民に迷惑をかけるということを一大悪のように取り上げ、ストライキ制圧に向けて政治家も経営者も動いた。

 その象徴が国鉄民営化であった。ストライキに参加した者は新しい会社に入社させなかった。ひどいことをした国策である。

 結局そごう・西武は売却されることになったようだ。セブンだ外国ファンドだヨドバシだと色々名前が出てくるが、何がなんだか分からない。調べたところで面白いものでもない。

 デパートは残るのか。池袋の顔はどうなるのか。お客のことを考えて事が進んでいるわけではない。どうしたら一番儲かるかという視点しかない。

 ストライキは、国民に迷惑をかけることによって、労働者が経営者と対等に交渉する力を取得するためのものである、ということであるが、これを理解するのは今の時代難しい。

 どんな理屈があっても鉄道のストライキは迷惑であった。人は理屈よりも迷惑なことしか関心がない。

 今回のストライキは賃上げでもなく、労働条件の改善でもなく経営者の責任追及でもない。株式会社そごう・西武という会社が経営者と言うことになるが、もはや当事者能力を失っている。

 セブンなんとかという会社がこの会社の親会社ということらしいが、株の関係ということであれば使用者ではないからストライキの要求に答える義務もない。
 要は痛くもかゆくもない

 今度のストライキに何か効果はあったのだろうか。ストライキの土壌が変わってしまっている。

 しかし西武はどうしたのか。あの堤清二さんや堤義明さんの西武はどうしたのだろうか。

 西武デパートは詩人でもあった堤清二。西武鉄道は堤清二の腹違いの弟堤義明。これが西武であった。

 今ではデパートでも西友でもバルコでも鉄道でもプリンスホテルでも、堤の西武ではなくなっているらしい。

 何人兄弟なのか本当のところは分からないらしい。
 西武の創業者であり父親である堤康次郎の女性遍歴はすさまじいものであったらしく、葬儀には康次郎氏そっくりの子供の手を引いた女性が行列を作ったという話がある。

 清二氏が本妻の子で義明氏は妾腹の子と言われていたが、そういうことではなく、誰が本妻なのか康次郎本人も判らないほどの女性の数だったということらしい。

 兄弟の確執や父康次郎の豪快な伝説。西武という企業には他の企業が見せない話題性があった。清二氏はすでに亡く、義明氏は飯能の山中で隠遁生活という話もある。

 かつて堤康次郎は、落ちぶれていく華族の土地屋敷を買い取り、ホテル業を展開したと言われる。プリンスホテルが都心の一等地にある訳が分かる。

 堤家の栄枯盛衰。西武デパートの行く末は分からないが、西武鉄道は堤家が一人もいなくても走っている。康次郎氏はどう思っているのだろうか。(了)

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