「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
この諺は中国に由来するものであるが日本製だそうである。
中国に由来するというのは、孟子さんが、「人間の本性は善であることは水が低きに流れるように自然の理だ」、と説いたことによるらしい。
孟子さんの言葉を日本人が改作したとしても、意味するところは全く違う。
人間の本性が善なるのは、水の流れからして明白だ、という孟子さんの話も、説得力に乏しいおかしな話である。
この諺は戒めの言葉とされているがそうだろうか。諺というより川柳ではないか。
江戸っ子が孟子さんの言葉がつまらないからと、「水は低きに流れ」の次に「人は易きに流れる」と付け足したものではないだろうか。
人は易きに流れてしまうものである。我が身も反省せねばと思うが、しかしそういう人生でもいいじゃないか、という気もする。
無理して背伸びをした人生を送るよりも、易きに流れた方が居心地がいいに決まっている。
しかし、易きに流れていいのは個人の人生である。社会の仕組みが易きに流れては困るのだ。
バブル崩壊後日本の社会はいつも、「易きに流れる」社会だったような気がする。
それが「安きに流れる社会」になってしまっている。
なにより働く人々の給料が上がらない。日本の経営者には、昔ながらの丁稚奉公の意識があるのではないだろうか。
3食食べさせてもらってこれ以上何が欲しいと言うのだ、という気持ちがあるのではないか。
保険会社が保険金の支払いを渋るという記事を読んだ。今に始まったことではない。
保険会社は保険料を取るが、なるべく保険金は払いたくない、ということを商売の指針としている企業である。
保険契約は伸びないのに保険事故は増える一方である。保険金を支払わない傾向は今後ますます顕著になる。
以前、性善説か性悪説か、という話題が人の口によく上った。まあ性悪説が妥当かな、と言う気がする。
刑法を持ち出すまでもなく、町のそこら中に人間は性悪であるというアナウンス、看板がひしめいている。
ゴミはお持ち帰りください。駐車券を紛失したら2万円いただきます。割り込みしないで1列にお並びください。みんな人間は悪いことをするものだとしている。
「この表示は薬の効能ではなく使用者の感想です」。これなどは薬メーカーの性悪を示したものである。
国は性悪説と性善説を使い分けている。
国民は税金をごまかすものとして税法は性悪説で作られている。
しかし行政サービスに関する法律は性善説である。「国民があんな悪いことをするなんて思いもしなかった」、と言ってお役は責任を逃れる。
警察官も似たようなことを言う。交通違反で切符を切るとき「まさかあそこで一時停止しないのでビックリしましたよ」などとよく言う。
そうでも言わないと、なんの危険もないところで検挙ノルマ達成のために捕まえていることの手前、自分の気持ちに後ろめたさがあるのであろう。
人間の本性は善であるとした孟子の言葉は、それだけ中国社会は悪である、ということを示したものである。
それを揶揄した日本の諺の方が、人間の健全を示すものである。
今の中国は本性がむき出しである。他国に不利益を強いて、それが批判されれば、アメリカの作り話に騙されてはいけない、などと言い出す。
習近平の前の指導者たちは、まだまともだった気がする。(了)
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