母 の 味

つぶやき

 このところ母を思い出す。思い出すのは食事のこと。それも料理の内容や味のことではなく、せっかく作ってくれた料理をよく残していたなあ、ということである。

 母親に対して申し訳ないという気になる。いまさらこんな歳になって思ってもどうしようもないことであるが、「親孝行したいときには親はなし」ということは、いろんなことにあるものである。

 母は何でもいいから子供が腹一杯になることだけを考えていた。なんでもかんでも山盛りに料理を作った。味は二の次である。
 「アチャーこんなに残して」とは言うが、食べ残すことには決して怒りはしなかった。

 ただひとつ、食べ残すことの思い出がある。私も兄も、必要もないほどの醤油をよく皿に注いでいた。食事を終えて母が片づけをするとき、皿に残った醤油の量を見て、少し寂しそうな表情をする母の顔を何度か見たことがある。子どもたちに食べさせることに関しては我慢の人だった。

 母はよく味噌ピーを作った。今では私の好物であるが、生落花生がなかなか手に入らないので、いつも食べるというわけにはいかない。
 
 母はどこで味噌ピーを覚えたのか。母の郷里は茨城。落花生を作っていたという話は聞いたことがない。
 農家の生活で、落花生を買ってまで味噌ピー作ることはないと思うが、結婚して東京で覚えたのかもしれない。

 母の味付けはなんでも極端である。みそピーの場合は砂糖の量が多いせいか豆がくっついている。気を付けて食べないと箸を折ってしまうことになる。

 今思うと母はみりんを使うことをしなかったような気がする。料理は塩、砂糖、醤油だけで、みりんは贅沢だったのかもしれない。そのせいなのか、母の料理には丸みがなかったように思う。

 母の味の思い出におにぎりがないということはない。おにぎりには他におむすび、にぎりめしという言い方があるが、母がおにぎりといったかおむすびと言ったかはっきり覚えていない。

 普通おにぎりは、三角形に結んで具を入れて、ノリで巻くものであるが、子供の頃海苔で巻いたおむすびを食べたことがない。居候の身、海苔など口にできるはずがなかった。

 母の思い出のおにぎりは味噌おにぎりである。焼きおにぎりではなく、冷や飯に生味噌をまぶしたおにぎりである。最近はどの地方でも、生味噌のおにぎりを食べることはほとんど見かけなくなったという話を目にした。

 叔母の家に居候をしていたころのことである。母は叔母に対する遠慮もあるのか、叔母に隠れておにぎりを作っていたように思う。叔母は子供たちが食事時間以外におにぎりを食べる事は、行儀が悪いと嫌っていた。

 母は私が裏の原っぱで遊んでいるのを見かけると、手でおむすびを握る仕草をする。内緒でつくるということなのであろう。5,6歳の頃だろうか。味噌と冷やご飯のおいしさを知った。
 
 たまに味噌おにぎりを食べることがある。もちろん生味噌、冷飯である。

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