母の性分

つぶやき

 昨日のブログに母のことを書いたせいか、夜寝床に入っていろいろなことを思い出し、考えたりした。

 母は心配性の人であったが、自分の中に留めておくことができず、すべて口にしてしまう人であった。

 旅行に行くと言えば飛行機が落ちるのではないか。子供ができたと言えば障害を持った子が生まれたら大変だ。家を買えば不動産屋に騙されたのではないか。少し具合が悪いといえばがんではないか。

 兄が結婚して同居することになったが、半年もしないうちに兄夫婦は家を出ることになった。

 何十年も一緒に暮らしていた兄も、母の性格が分からなかったようだ。

 母は、「私は悪気があって言っているのではない。私の腹の中は真っ白だ」と言うのがいつものことであった。

 兆候は70代の半ばからあったが、80歳の頃はひどい認知症になっていた。

 母はよく、「子供が学問を身につけるとろくなことがない」、と言っていた。子供が教育を受けると親をバカにするようになる、ということである。

 15歳の夏、私は初めて母の郷里に一人で行って何日かを過ごした。
 母の郷里に行って、母はどういう生活をしていたのだろうか、母のことを知っている人達と会って話を聞いてみたい、と思ったのである。

 最初の晩、いろいろご馳走を用意して、20も年上の従兄弟は私と一緒にテーブルを囲んでくれた。彼はほとんど酒を飲まないという話は母から聞いていたが、2人でビールを何本も飲んだ。

 特に母の話もしなかったし、私も聞かなかった。でも、愛嬌のあるような人ではないが、いい人だなと思った。

 母の兄は、私が行っても特に親しく話をすることはなかった。ただ田舎に行ってから1週間近くなって、明日帰るという時、「学生運動だけはしないでくれと」、と私のそばに寄って気弱そうに言った。

 母は、おっかさんに会いたい、とよく言っていた。

 母は子供に対しては一生懸命であった。いい人だったが、言葉の意味がわからなかった。

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