秋場所が始まった。しかし朝乃山の姿がない。
「相撲の神様っているんですかね…」
「うん。相撲の神様はいるよ。全部見てるはず」
「まだ神様は僕のことを許してくれてないのかも。あんなことしちゃったから……」
「いや。もう充分に、その件の禊は済ませたと思うけど。また試練が与えられちゃったね。なんでだろうね」
このやり取りは、秋場所を直前にした8月末、松葉杖を携えた元大関朝乃山が、自分のつらさを佐藤祥子というライターに語ったことを、そのライターが雑誌に掲載したものである。
「彼の故郷の富山後援会から差し入れされたという“呉羽梨”を剥きつつ、その顔を直視せずに応えていた」と佐藤さんは記している。
朝乃山のファンとして、泣ける言葉である。
朝乃山に関しては相撲の神様はいないようだ。
2019年5月場所で平幕優勝し、その後大関に昇進したが、コロナ禍で定められた相撲協会の外出規制に抵触し咎められた。
処分は執拗に厳しく、約1年間にわたり土俵に上がることが許されず、番付は大関から一気に三段目まで落ちた。
「元いた大関の地位まで復活したい」との思いで雌伏の時を過ごし、番付を戻してきた矢先、ようやく三役に復帰した今年5月場所は、右足のケガで全休することになった。続く七月名古屋場所は前頭十二枚目で迎えたが、崩れるように倒れ、左膝にさらなる大ケガを負った。
相撲の神様がいるとは思えない。
貴景勝も休場となった。来場所は平幕ということになる。判官びいきということになるが、大関まで上り詰めたお相撲さんの格下げを見るのは辛い。
貴景勝は頸椎を痛めているらしい。突進相撲であるから首に負担がかかる。
場所中の怪我は公傷として、番付はそのままでいいのではないかと思うが、相撲協会はやけにこのことについて厳しい。
いくらなんでも、大関が十両や幕下から出直すというのは納得しにくい。
きのう前頭10枚目の玉鷲が、初土俵から通算1631回連続出場となり、青葉城を抜いて単独史上1位となった。
場内から盛大な拍手が起きたが、玉鷲はそれに応えることはなかった。
観客の歓呼に応えるということは相撲の世界ではないようだが、あのとき玉鷲が少しでも観客に挨拶するような仕草を見せたら、感動の渦となったのではないだろうか。
相撲はなぜ観客に応えてはいけないのか。相撲道に反するというのだろうか
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