死を語ってほしかった。

つぶやき

 池田大作氏の死を聖教新聞は「池田大作先生が霊山へ」と報じた。霊山とは何なのだろうか。天国とか浄土では邪宗の教えを使うことになるから適切ではないということだろうが、それにしても霊山とは意外であった。創価学会は山岳信仰ではないと思うが。

 池田大作氏とは結局どういう人だったのだろう。宗教家、事業家、経営者、教育者、平和運動家。宗教のために組織があったのか。組織のために宗教があったのか。

 言論出版妨害事件を契機に池田氏は戦闘的な折伏活動をやめ、平和運動家になったようだ世界の著名人と面談している写真を何度も見たことがある。池田氏は世界の著名人と面談することが自分のステータスを高めるものと信じていたようだ。
しかし言論出版妨害とか、いっときの共産党との協定。理解しがたい行動をする人でもあった。結構口の軽い人という話もある。


あれほどのことを成し遂げた人である。いいことも
そうでないこともネットには書かれている。
池田氏についてひとつ残念なことがある。宗教家として自らの死生観を語らなかったことである。語ったかもしれないが、出版物としては見当たらない。現世利益をうたった教団であるから、来世のことについては用意がないのかもしれない。

 創価学会員の信仰の喜びとは何なのであろうか。他宗を攻撃し排除する教団である。やすらぎとか心の豊かさとか言ったものとは縁遠いもののような気がする。
 選挙運動に奔走し、選挙に勝ってエイエイオーと勝どきを上げることなのだろうか。信仰なのかもしれない。でもそれで本当に信仰をしてきてよかったということになるのだろうか。

 創価学会の隆盛は第2世代に負うことが多いと思われる。その世代も70、80代になるはずである。老いて何を想うのか。魂のやすらぎであろうか。それともやはり選挙のことだろうか。
 池田氏は82歳にして公の場から姿を消した。健康上のことがその理由としか考えられない。池田氏は老いについても会員に何も語らず死んでしまった。
 池田氏が姿を消してからの13年間。その間何があったのか。最も高い境涯に達して亡くなられたのであろうか。明らかにされることはないだろう。

 「女性は太陽たれ」「青年こそが社会の変革者」、「戦争ほど悲惨なものはない」。「民衆は王者である」説明はどうであれ、短い言葉のうまい人であった。このような言葉に会員たちは狂喜し感激していた。
 現世利益を何より大事とした宗教家としての池田氏が、死について語るとしたら何を語るのか。私も老い先短い身、ぜひ読んでみたかった。(了)

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