死が解決とは

つぶやき

 喉頭癌、頚髄症と、たて続けての手術のため、長年やってきた仕事をやめたが、手術や入院は思いのほか早く終わり、今の私の生活は、仕事がない、人と話す機会がない、ということになった。

 考えてみれば喉頭癌でも頚髄症、狭窄症でも、悪いところを取ってしまえば結果は別として治療は終了するのであり、癌だからこりゃあ一生大変だと思ったのは、たんなる思い込み違いということであった。

 75歳であるがまだまだ体力も知力もあると思う。
 仕事を続けていればよかったという思いはいつもあるが、これについては他稿でも書いたことだから省くとして、何か人とのつながりのある関係を持たなければいけないと、気持ちが落ち着かない。

 私自身は人との関係にあまり興味はないのだが、高齢化社会と言われる昨今、ボケ防止には人間関係が大切と言われると、そのような気にもなってくる。

 しかし人との関係はいわば両刃の剣である。人によって救われることもあるが、人を傷つけるのはやはり人である。

 高齢者のサークルにおいていろいろ問題が生じることは以前から伝えられている。
 現役時代の会社名や役職などをなかなか払しょくできないことから生ずることが多いという。

 人間歳をとったら丸くなるというのは難しいことのようで、かえって角の多い人間になるような気もする。

 いい人と同じくらい悪い人もいるから、サークルなどに入るには慎重な見極めが必要である。

 私の住む町は駅の新設による開発から40数年が過ぎた。人の移動はあったが、同じ町に40年来の顔見知りがいるということはなにかうれしい気持ちになる。

 ほんの少し前まで、あの人も歳をとったな、と思っていたのが、あの人があんなになっちゃった、と老いの進み具合に驚く。

 私もこのところ腰の痛みで歩きにくく、杖をついて歩いているところを人に見られたりしているから、ご主人どうしました?と妻に声がかかるらしい。私も人から見ればずいぶん年寄りになったということだろう。

 他人の生活をのぞき見する気はないが、老後の生活において一番破綻しやすいのは自営業ではないかと思う。

 この町でも自営として生活してきた人の高齢や病気に伴う生活困窮が耳に入る。
 自営者は国民年金ということになるのであるが、いつまでも仕事ができるということを前提にした年金制度である。

 仕事をしてきてサラリーマン以上の収入があって、貯蓄もそれなりにできれば問題はないのであろうが、そんなに収入の多い仕事でなかったり、病気にでもなったりすればどうしようもない状況になってしまう。

 「被告は長年にわたる妻の介護が苦痛になり、この妻さえいなければ普通の生活に戻れると自分本位の考えに至り、妻を車いすに乗せ、港ふ頭から海に突き落として殺害したものである」

 先日神奈川県で起きた81歳の夫による79歳の妻の殺害行為は、このような文言を書いた起訴状によって裁かれることになるのであろう。

 81歳の夫の行為は、どのような事情があったとしても、法律ではこのように評価されることになる。

 妻への40年もの献身的介護は、情状酌量の中で考慮されることになるのであろう。裁判官は少しは同情しながら判決文を読みあげることになるのであろうか。

 死以外に解決の道がなかったこの夫の気持ちを、法律は裁けるのであろうか。

 このような事件を未然に防ぐことはできないのか。日本の社会もこれから10年である。政治も経済も社会のあり方も本当に真剣に考えなければとりかえしのつかない今である。

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