歳とってまで考えることはない

つぶやき

 「身構えながら話すなんて ああ おくびょうなんだよね 襟裳の春は何もない春です」。森進一が歌った「襟裳岬」の一節。

 歌謡曲なのか、フォークソングなのか、何回か聞いたことがあるがよく分からない曲である。

 曲想からしてさらっと歌った方がいいと思うが、森進一が歌うからそういうことにもならず、演歌なのかとも思うような、なんとも言えない歌である。

 ただこの歌詞が妙に頭に残る。この歌詩で言いたいことが分からないわけではない。
 あの時代から人間関係は希薄であった。それを「おくびょう」という言葉でうまく表現にしたのかもしれないが、しかし身構えていたのは、この曲の作曲者である吉田拓郎であり、この詩の作家ではないか、という気がする。

 人は他人と関係を持つことが本来必要なことなのかどうか知らないが、他人に傷つけられたくない、という思いは持つようだ。

 しかし人は他人に傷つけられたことには敏感だが、他人を傷つけたことには鈍感である。

 人間関係がうまくいかないという話をよく聞くが、人間関係はうまくいかないものだ、と考えるべきである。

 人間の気持ちの大半を占めているものはなんと言っても利己心である。利己心とは自分の利益を考えることだと理解していたが、自分の利益だけ考えて他人の迷惑を顧みない、ということが正確な利己心の定義であるらしい。

 そういうことであるなら私が思っている以上に人間関係はうまくいくはずがない。人の気持ちから利己心を排除することは不可能なことであるから、人間関係は永遠にうまくいかない。

 人間関係というものについていろいろ考えるが、正直なところよく分からない。
 昨年喉頭がんや狭窄症を発症したせいか、心療内科を受診するようなことになった。

 不安感に襲われたということなのだが、なぜか知人と連絡が取れなくなってしまうということに対する不安感が強かった。

 それまで人の連絡先など全く関心もなかったが、他人と連絡が取れないということに恐怖心というのか、孤立感というのか、そんな気持ちになった。

 私の深層心理にそのような意識があるということなのだろうか。そうだとすると残された人生、人との関係を持たなければいけないことになる。

 仕事をやめるということは、社会から離れるということになるのだろうが、最近では人と仕事の話をしないで済むことに居心地の良さを感じる。

 営業をするような仕事ではなかったから、仕事そのものから不愉快なことを感じることはなかったが、たまには荒っぽい不動産屋との対応に嫌な思いもした。

 人と話をすることもほとんどないが、それが困ったということもない。いつまでもつか分からないが、人間働かないで生きていくのが何より一番だ、という残りの人生にしたい。(了)

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