正義の味方ではなかった

つぶやき

 川崎のストーカー事件で、被害者が身を寄せていた祖母の家の窓ガラスが割られ、鍵が壊されていた日から被害者は行方不明になったのに、加害者であった元彼氏と「よりを戻して一緒にいるのではないか」と、川崎臨港署は事件として取り扱わなかった。

 このような警察の対応は桶川ストーカー事件でもあった。
 被害者が交際していた男から暴力や恐喝をされるようになり、両親は上尾署に被害を申告した。

 応対した署員は、「これは事件か民事の問題か、ぎりぎりのところだね。つき合って3ヶ月ほどじゃ相手の男も一番燃え上がっているところだよね」などと述べ、危険性を認めなかった。

 この言葉を言った警察官の顔が手にとるように分かる。薄ら笑いを浮かべていたことだろう。

 川崎ストーカー事件で県警が謝罪。「担当した警察官全員が危険性を過小評価し、組織的な初動対応をせず、女性の失踪後も積極的に捜査しなかった」

 こんな謝罪を聞かされた家族はどう思うのか。「何も考えなかった、対応しなかった、捜査しなかった」。これで警察と言えるのか。

 警察官というものはストーカー事件というものが全く理解できないらしい。
 ウィキペディアでストーカー事件を調べて見ると驚くほどの数である。
 これだけの事件が過去に起きていて、「再発防止に努めたい」。何を言っているのか。

 やはり警察というところは犯罪を被害者の側からとらえる習性がない。
 犯罪の予防という見地を持たないようだ。
 まさかそんなことはないだろうと思いたいが、染みついた体質は変えようがない。

 あらためて桶川事件を読んでみた。男がどうしようもないワルである。川崎事件もそうであった。犯人の母親は、息子が被害者を拉致して自宅の床に埋めたことに気がつかなかったのであろうか。

 若い女性が恋愛関係に憧れることはとても危険なことである。
 恋愛は甘いものであるはずだが、こんな事件に巻き込まれることがある。

 桶川事件では、被害者の家族が加害者の仲間からビラを撒かれたりして誹謗中傷の被害を受けている。

 川崎事件でも警察の責任を追及する家族に嫌がらせが続いているという。
 
 神奈川県警は担当者43名を処分。ひとつの事件としては異例の多さだそうだが、だからといって責任を取ったことになるものでもない。神奈川県警は本部長による事件もみ消し工作など、昔から不祥事の多いところである。

 家族は事件を忘れないが、世間は忘れる。警察にすれば「いつまでも気にしているようなことじゃない」ということなのであろう。

 川崎事件の被害者の父親も言っている。大川原化工機冤罪事件で被疑者のまま胃がんで亡くなった人の息子さんも言っているが、警察官の人間性が変わらない限り、このような事件はこれからも起きる。

 何度もこのブログに書いていることだが、人を捕まえるという職業はいい人間性を育てることはない。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました