八代亜紀さんは、「歌に感情を込めない」ことが信条だったらしい。
こんな言葉を残している。
「感情を込めると、歌は歌手自身のものになる。しかし感情を込めず曲の世界観だけを伝えると、聴き手がそこに自分を投影する」
「歌に自分の感情を乗せすぎては駄目。プロの歌は聞く人のものなので、聞いた人が自分の感情を乗せられるスペースを空けておかないと」
「歌に感情は込めない。感情を入れると、自分の心も出ちゃうわけですよ。歌手の人の人生観とか出ちゃうわけですよ。歌は代弁者じゃなきゃいけないと私は思うのね。聴く方の代弁者。自分のことを歌ってくれてありがとう、って思われちゃわなきゃいけない」
銀座のクラブ歌手時代、感情を込めないで歌ったところ、ホステスたちが泣き出した、というエピソードがこの話に添えられている。
なるほどと思う話ではある。しかし、どんなものかな、とも思う。
おとといの深夜、いつものラジオ番組で、AKB48というコーラスグループというのかよく分からない音楽グループの、「365日の紙飛行機」という歌を聴いた。以前どこかで聴いた記憶がある。
小学生のコーラス以下と言ったら小学生に失礼になるが、今の時代いい歌とされているらしい。
若い人たちの音楽が全く分からなくなっている。
音楽と感情。往年の指揮者の名を持ち出すこともないだろう。
確かに思い入れたっぷりの歌には少々持て余すことがある。
しかし、例えば八代さんの「舟歌」にしても感情たっぷりに歌っているではないか。
出だしのテンポも、中間部のクレッシェンドも、ダンチョネ節にしても、思い入れたっぷりである。感情を込めないのなら、1拍100くらいのテンポで歌えばいい。
歌手というのは、歌うのがうまく声がきれいな人がなるものであった。
しかし焼肉も、ロースより癖のあるカルビやモツにおいしさを感じるように、ハスキーボイスが認められるような時代があった。青江三奈さんや森進一さんである。
八代さんは普通の声であるが美声ではない。ハスキーボイスである。ハスキーボイスはそのままで感情を表現しやすいのである。
美声ではなくそのままの声で歌うから、深夜トラックの運転手たちは、自分の彼女がそばで寄り添って歌ってくれているように、八代さんの歌を聴いていたのではないか。
八代さんに、「歌に感情を込めない」という信条をもたらせたものが、銀座ホステスの涙とは出来過ぎた話だと思う。芸能人は人に受けるつくり話をいくつも持っているものである。
歌は感情を込めて歌うものである。八代さんもそうであったはずである。AKB48にもそれなりの感情が込められている。ただ感情の込め方は、時代と歌い手によって異なるということである。
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