歌謡曲を聞かなくなった。歌謡曲が無くなった。
昭和40年代に歌謡曲は全盛期を迎えたと言われるが私もそう思う。
この時代の歌謡曲において特筆しなければならないことがある。作曲家だけではなく編曲者の存在である。
作曲家と呼ばれる人はほとんどの人がメロディ作家であって、オーケストレーションは編曲を専門とする人がする。
作曲家と称する人のほとんどはピアノが弾けない。コード進行は知っていても和声学は知らないはずだ。
アレンジを専門とする人たちによって、クラシック音楽のシンフォニーのように変化にとんだ歌謡曲が登場することになり、昔の歌謡曲とは比較にならないほどの魅力を持つことになった。
歌謡曲は曲を聴くのか、詞を聞くのか。両方聞くのが当たり前であるが、これも人による。私はメロディに関心があり、詞についてはあまり気をつけて聞いていない。
サザエさんの漫画に、酒、雨、港町、別れ、など詳しいことは忘れたが、このような単語をただ組み合わせただけで作詞する作詞家を描いたものがあった。
作詞家にしてみれば書く材料に困ったことだろう。男と女の歌を書くためには銀座のクラブや場末のキャバレーに通わなけれ ばならなかった。
歌謡曲の衰退は作詞に原因があるという説がある。同感である。
ジョニーだのマリ―だのどこかのホステスだの、どこの誰かも分からないことでは共感できない。
田舎に残して別れた男の葬式は教会ではなく古ぼけた寺のはずである。
喪服も洋装ではなく、色あせ着古した紋付が自然である。詞の内容が不自然なのだ。
最近の若い人が歌う歌はほとんど聞いたことがないが、先日テレビで聴いた歌詞は、絆とか君は一人ではないとか、愛を信じよう、とか意外な言葉が耳に入ってきた。
彼らの外観からすれば、そんな愛とか友情とかには程遠い、ケンカ早く、ヘアースタイルが気になり、女のことしか頭にな い、イカレポンチの集団のような印象を受ける。
そうか、恰好は気張っていても、歌うことは愛とか信じようとかしかないんだな、昔と変わっていないではないか。大したことは歌っていないのだな、と妙に合点した。
いい曲が流行るとは限らないのが歌謡曲の世界。
しかし歴代販売枚数日本一という歌謡曲の曲名を聞くと愕然とする。日本人の音楽性に絶望する。
聞くに堪えない曲である。歌手も下品極まりない。こんな曲が流行ったから、日本の歌謡曲は絶滅した。懐メロ番組でこの歌が登場したらテレビを消さなければならない。
何度も言うがひどい歌である。
こんなことを言うと「まあそれもいいじゃないですか」という意見が必ず出る。何も考えていない意見である。
「それもいいじゃないですか」という生き方は、子育てに失敗し、家庭までダメにしてしまうのだ。(了)
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