朝 ご は ん

つぶやき

 朝めし前にこのブログを書き始める。夏は5時前に起きていたが、このところ寒くなって5時半過ぎに起きる。
陽が短くなり、5時ではまだ真っ暗である
から、スイッチを入れて明かりを求めるより、布団の中で陽の明かりを待っていた方が朝らしい

40年以上も前から
のことになると思うが、我が家は朝風呂である。眠気からシャキッとする朝風呂がいいのか、一日の疲れをほぐす寝しなの風呂がいいのか。とにかく我が家は朝風呂の生活になってしまった。

 風呂を5時半前後に出て、そのまま机に向かう。スラスラとブログが進むときもあれば、テーマ迷うときもある。
 1時間ほど過ぎて7時前に、朝食の用意ができた妻が私に伝える。私は早飯であるから大概7時のニュースは見逃すことになる。

 なんと言っても朝食は楽しみである。旅行に行っても、豪華な夕食より朝食の方が楽し
 先年急逝された中村勘三郎さん中村座の立ち上げやニューヨーク公演の成功などで絶頂期のテレビのトーク番組に出演したことがあった。
 司会者から〝お好きなものは〟と聞かれたとき、童顔の面影が残る勘三郎さんが少し照れた表情で「朝ごはんが好きなんですよ」と言った顔が印象的であった。

最近では好きな
もの〝朝ごはん〟という言い方をよく耳にするが、この当時好きなものはと問われ朝ごはんと答える人はいなかった。
 勘三郎さんが亡くなられて11年が経つ。57歳とは早すぎる。
 惜しい人を亡くしたという言葉はこの人のためにある 

 我が家の朝食は和食である。たまにパンとパスタサラダることがあるが、それもひと月に1回か2のことである。
 日本の朝食には「一汁一菜」という言葉があるが、我が家は「一汁五、六菜」である。納豆を入れれば七菜くらいになる。このうち二菜は私のささやかなこだわりである。

私のこだわりの
一菜は干物、二菜は漬物である。他に三、四菜あるのは妻のこだわりと余り物のことからである。ヒジキなどの海産物や野菜はもちろん定番である。

歳と共に血糖値とか血圧が気になるが、
それと同時に便通も気になるものである。
 最近は昔のような立派な便が出ることはなくなってしまった。快食快便ということは大事なことである。

 余り物もちろん前の晩の残りである。わがままな私は、体に良さそうなおかずや難しそうなおかずは苦手である。
 妻は体にいいものとして料理を作るから、妻には申し訳ないが夕食はどうしても残してしまう。
以前は「せっかく作ったのに」と妻は愚痴っていたが、ここ何年かは
敵もさるもので、翌朝形を変えて出てくる。
最初は
、「なんことをするんだ」と言ったこともあったが、今はせっかくの妻の心遣いと全部食べることにしている。

 最近糠漬けをする人がいなくなったという話を聞くが、ごはんを食べなくなったのだから当然のことである。
 昔、主婦は習慣として白菜漬けをしたものである。母は狭いアパートで暮らしながら糠漬けもしていた。どこに樽を置いていたのだろうかと今思うと不思議である。

漬物というのは田舎では付物ではなく唯一のおかずである。このことを「一汁一菜」と言ったのではないだろうか。漬物だけで
ごはんを何杯も食べられたのである。
 今でも漬物は、「当然あるべきもの」と思っているが、昔の暮らしと違っておかずが多くなればその存在を忘れてしまうものである。
我が家でも妻は出
すのを忘れ、私は食べるのを忘れることがある。私が漬物にこだわるというのは母の思い出であり、妻は私の思い出のために用意してくれているのかもしれない。

 朝の目覚めはまな板の音と、味噌汁の匂い、ということになっている。味噌汁はお味噌汁と言うし、おみおつけとも言う。我が家では味噌汁というが、母はおみおつけと言っていた。
おみおつけを漢字転換したら御御御付と出てきた。よっほど丁寧語なのであろう。
母が娘のころ奉公していた東京のお屋敷で覚えた言葉かもしれない。

味噌には名品が多い
が自家製がなによりうまい。ずいぶん前から妻は味噌を作るようになったが、当初私は馬鹿にして食べなかった。味噌が素人に作れるものとは思っていなかったからである。

妻が味噌を作り始めて何年か経って、妻の味噌のおいしさに驚いた。味噌とはこんなに香り高いものなのか。感心というよりも、今までの無礼狼藉を詫びなければならな
いほどの味であった。

手前味噌という言葉は自慢することを揶揄する言葉であるが、自家製が一番うまいということから生まれた言葉なのであろう。


のおみおつけは具をくたくたになるまで煮て、ぐらぐらと煮立てていた。
妻の味噌汁の具はほとんど半生か生である。沸騰する前に火を止め味噌を入れる。
 しかし私には、母のも妻のもどっちもおいしいものである。

 朝ごはんの主役はごはんである。だから朝ごはんというのだろう。
 ごはんを美味しく食べるには炊く量が重要である。田舎に行ってごはんがおいしいのは、コメの新鮮さもさることながら、少なくても毎回1升は炊くからである。
老夫婦二人が朝に炊くお米の量は1合である。これでも余る。せめてお釜にこだわろうと、瀬戸物などのおかまで炊くが、いかんせん1合のコメでは立つコメも立たない。

 ごはんのおいしさはおかずがあっては判らない。焼き鳥と同じで塩に限る。塩おむすびが、ごはんのおいしさを実感する唯一の食べ方である。

ごはんはあくまでごはんが主役で、おかずはごはんをたくさん食べるための添え物に過ぎない、というのが日本の伝統的な食べ方である。
 しかしごはんは炭水化物とかで、糖分が多いから控え目にしなければならず、今は茶碗に半分もよそっていない。
山盛りにしたごはんに
海苔の佃煮や葉唐辛子を乗せて何杯もお代わりをしてみたいと思うが、気持ちはあっても体力が無理なようだ。

 母と食卓を囲んで朝ごはんを一緒に食べた思い出がない。母はいつも他の入居者と共同して使う台所で立ったまま朝食を済ませ、私が起床する頃には漬物工場に働きに出かけていた。朝食と言ってもごはんと漬物ぐらいなものである。
ときどきドア越しに、母が食事をしている姿を見たことがある。母のつらさや大変さを理解しなければいけなかったのに何も感じなかった。

 私は母の作ったおかずをよく残した。嫌いなものは食べなかった。母はそのことになんの小言も言わなかっが、ただ後片付けをするとき皿や鍋に残った料理を見て、ガッカリしたような表情を浮かべるときがあった。私は食事を作る人の気持ちが判っていない。食事を作る母の気持ちなど考えたこともなかった。
 醤油1本買うのにどんな金銭事情の中で買っていたのか、私は何も知らなかった。ずいぶん食べ物を粗末にしてしまった。子供たちを怒ることのなかった母の寂しさが少し判るようになってきたが、今となってはなんともしようがない。

 母と暮らして24年。母と離れて40。母が亡くなって13年。今日は母の命日である
毎朝料亭のような朝ご飯を食べているが、あのくたくたに具を煮たしょっぱいおみおつけの朝ごはんを忘れことはない。

 母を理解しようともせず、感謝することもなく死なせてしまった。
 この歳になって母の喜びが何であったのか少し判るようになった。
 あの世で母に会えたらいいなと思う。母に会えたら、母が喜ぶ話をたくさん語ってあげたいと思っているのだが。 ()

コメント

タイトルとURLをコピーしました