このところまた歯医者通いである。
詰めていたものが取れたり、被せてあったものが外れたり、入れ歯が割れたりと、次から次とトラブルだらけである。
歯だけは早く治しておいた方がいいというが、入れ歯の修理などは、歯医者さんが靴か何かの修理屋さんのように見える。
8月から保険の負担が1割になった。
今まで歯医者に行けばちょっとした治療で1,500円とか、高いときは5,000円近く払っていたが、それがこのところ400円とか500円ぐらいである。
高齢者の負担が少なくて済むのはありがたいことだが、保険制度の負担もますます大きなものになるだろう。
昨日は中秋の名月であった。名月は出たのだろうか。見ることもなく寝てしまった。
月の光が結構明るいことを知ったのはそんなに早いことではない。
子供のころから東京の街中に住んでいたから、ネオンや街灯のせいで月の光を知ることがなかった。
高校生のころ、働いていた印刷会社の先輩と丹沢に行ったことがある。
いわゆるバカ尾根というコースで、ヤビツ峠とか塔の岳とかいう地名を覚えている。
通常のコースからかなり手前でバスを降りてしまったらしく、尾根に出るまでにずいぶん時間がかってしまい、尾根歩きを終えての下りの帰り道は暗くなっていた。
懐中電灯などは持っていないので、道が森に入ると真っ暗である。
その道でハイカーには見えない何人かの人たちと一緒になった。山小屋などに荷物を運ぶ人たちで、仕事を終えた帰り道らしい。
彼らは懐中電灯を照らしながら歩いていたが、そのうちの一人の人が私に懐中電灯を渡した。私は5,6人の列の先頭を歩くことになった。
森を抜けるといままで気がつかなかった月の明るさがあった。
月が明るいとは知らなかった。そんな話をしたらみんな笑いだした。
早く懐中電灯を消せという。不審に思っていると、電池がもったいない、というのである。なるほどと思った記憶がある。
懐中電灯を消しても歩くことに全くの不自由はない。あらためて月の光を感じていた。
山の端から上る月の明るさに驚いたことがある。
以前越生の山の中腹に山荘を持っていたが、その山荘から越生梅林をはさんで反対側の西側にも山がある。越生梅林は盆地のようなところにあることになる。
山荘に行き始めたある晩のことだが、デッキから見る西側の稜線の一部が異様に明るい。しばらく見ていると煌々と輝く円盤のようなものが現れた。それがそのまま立ち上り、真ん丸な月になった。
月がこんなに大きく明るいものであることを初めて知ったことになった。
日本人は古来から月を愛したようだ。ヨーロッパなどでは月はネガティブなものしてとらえられているらしい。
日本では日光月光の菩薩様に優劣はないということだから、特に太陽だけを特別扱いするということもないようだ。
しかしお天道様という言い方がある。何事もお天道様がお見通しであるということになっている。何事もお見通しのエライ太陽よりも、エラそうでないお月様の方が居心地がいい。
月には名月という言い方があるが太陽にその言い方はないし、月に対する呼び名の多さには月を愛する気持ちがある。それだけ月には心を寄せるものがあるということであろう。
平安の時代、貴族は月を愛したというが、権力の座に着くのは一握りの人間。権力を手にできなかった貴族は趣味の世界に生きざるを得ない。それには陰と呼ぶ月が似合う。
子供のころの思い出に月はないが星はある。
1歳を過ぎて、父親の郷里である片貝から東京に転居してから、父の墓を移す20歳近くまで、片貝を訪ねたことはないはずなのだが、鮮明な思い出がある。
小湊鉄道だったのか全く覚えていないが、1両編成のディーゼル車で父の故郷という村を走った記憶がある。
外は真っ暗であった。星がとてつもない明るさで光っていた。
星のまばたきが幼い心には怖い。妖怪の目のように見えるのである。
ほとんど客のいない座席に顔を押し付けて、その星空を見ないようにしていた記憶がある。5歳くらいだったと思うが、間違いなくあの星空を見た気がする。
今日のブログを書き終わり、女房に昨日の月を聞いたら「きれいに出ました」と言う。障子を閉めていたためか月の明かりに気が付かなかった。
ともかく昨日は中秋の名月で、娘からもらった月見団子は月を見ずして食べたが忘れていたような味であった。
季節の催しは、ずいぶん前から意識しなければ忘れてしまう時代になった。
月光はベートーベン。月の光はドビッシー。ムーンライトはグレン・ミラーであるが、なんといってもドビッシーである。
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