高校・大学時代と合唱サークルに入っていたが、歌や合唱が好きで入っていたということではなく、他に音楽関連のサークルがなかったからである。
合唱をやっていて歌が好きになったかと言えばそんなことはなく、夜間大学の歌声サークルのようなものであるから、公会堂の小ホールなどというところで発表会などをやっても、「1年間、みんなでがんばったな」、という感情的な感動はあっても、音楽の感動にひたるということはなかった。
大学3年の後期に、1部(昼間部)のクラブであるオーケストラ部に入ったが、好きなバイオリンは弾けても、ここでも音楽的な感動を得るなどということはなく、私も含めて、音楽をやるようなレベルではなかったということで、素人は音楽をやってはいけないということを実感した。
40歳近くになった頃、同じマンションに住む子供たちと音楽会を開くことにした。
その音楽会で近所の主婦が童謡を歌ったが、間近で聞く人の声の美しさに初めて感動した。
その人は音大の出身であった。歌とはこんなに精緻に美しく歌うものなのかとあらためて教えられた。
それから近所に芸大を出た声学家が住んでいるということを知り、頼み込んで教えてもらうことにした。イタリア古典歌曲、トステイ、カンツォーネ。
ドイツリートを歌いたいと言ったら、聞こえていないのか、なんの返答もなかった。
それから1年も経たないうちにレッスンに行かなくなった。先生にお詫びの電話を入れたら、「音大に入れる実力がありますよ」、と言ってくれた。しかし今さら音大に入る歳でもない。「音大に入れる実力がありますよ」というのは、若い生徒に対してもレッスンの最後に言う決まり文句であるらしい。
歌手になりたくてなる人はいるが、他人の勧めで歌手になる人が多い。
大橋国一さんは、NHK合唱コンクールに参加する合唱部のメンバーが少ないことから、部員を探していた合唱部の先生にスカウトされた。
都立新宿高校の運動関連のクラブにいたとき、ひときわ大きい声が目立ったらしい。
その後芸大に進み、ヨーロッパの歌劇場で活躍するほどの名歌手になられたが、42歳の時、直腸がんで亡くなられた。この人ほど惜しまれて亡くなった人はいなかった。
バスの岡村喬生氏は早稲田大学第一政経の出身だが、入学式の時に名前を呼ばれた返事の声が大隈講堂に響いたということで、グリークラブにスカウトされ、芸大に進んでいる。
佐藤しのぶさんもピアノ科から声楽科にスカウトされた人である。早世されたことが惜しまれる
歌は自分でうまいと思う程度ではダメらしい。
この秋、ホセ・カレラスが来日する。77歳になる。
若い頃、来日公演のアンコールで歌ったグラナダが素晴らしい。
公演はたった2回。S席36,000円、A席29、000円。
2人で72,000円と58,000円。
青春の思いが浮かぶのなら惜しい金額ではない。
しかし、77歳。「最後の歌」を歌うのだろうか。カレラスの枯淡の境地は聞きたくない。どうしたらいいのだろうか。
コメント