きのうは我が町の上空をブルーインパルスが飛行したが、あいにくの曇りがちの空。それでも陸橋や空き地にはたくさんの人達が空を見上げていた。
家内の入院時の事務処理的なことで朝病院に向かう。途中デパートで「限定20人様」という粕漬の切り落としを買った。
誰が思いついたのか知らないが、粕漬にした魚というものはなかなか美味しい。だがどんな魚にも合うということではなく、やは粕漬と言えばギンダラとなる。
ギンダラは鱈の一種かと思っていたが全く関係ないらしい。深海魚とあった。
病院に10時過ぎに着いたが、緑多いこの病院の景色を、ハナミズキの紅葉が汚くしている。さくらの紅葉はすでに終わっていたが、さくらもあまりきれいな紅葉を見せる樹ではない。
清瀬の病院から所沢の航空公園に向かうことにした。このところこの公園にはご無沙汰だったがイチョウ並木がある。
黄葉は始まっていたが、どうもシャキッとした黄葉ではない。葉が黄葉しきる前に枯れてしまったようだ。今年の夏の猛暑で、樹も疲弊しているのかもしれない。
家内が飯能美杉台のモミジバフウを見たいという。約1キロの黄葉した並木は壮観である。
きのうは我々夫婦の結婚記念日。子供たちをよんで帝国ホテルでの豪華ディナーもいいかと思っていたが、家内の療養がなによりも先決であることを考え、ドライブの途中、二人で店の造りはそこそこの、和風レストランに入ることになってしまった。
「入ることになってしまった」という言い方が正しい。人生にはこういうことがよくある。ただただ悔恨である。
家内が注文した料理が本当に美味しかったのかは分からない。でも「おいしかった」と言う。家内はその場その場の言葉使いを知っている人である。
私も自分が注文した料理が「おいしかった」と家内に言ったが、内心「こんな値段を取ってこれで料理といえるか、ふざけるな」という心境であった。
「二度と行かない」という店が多くなるばかりである。そんなことからお昼にかけてのドライブであったが、今日はどこかで食事をしようという気にならなかった。
昼過ぎに美杉台に着いたが、アレレレレというようなモミジバフウの並木道。ほとんどが枯れていて紅葉どころではない。「いったいどうしたんだ」と声をかけたくなるような惨状。
紅葉は諦めてこの町の一番高いところにある展望台へ。私はその高さから登るのを諦めたが、家内は何百段の階段を登って行った。
しかしあそこから眺めたら人生の思い出になるのではないかと、側道があるのを見てそろそろと私も登り始めた
地平線を見るのはいつ以来だろうか。城卓也のナレーションを思い出す。
はるか彼方に富士山の陰影が見える。陰影は家内のものだけでたくさんだが、階段を登っても息が切れなかったという家内の話を聞いて、やはり富士山はきれいなものだと思った。
帰って粕漬のギンダラで一杯。「うまい、うますぎる」は埼玉銘菓のコマーシャル。子供たちが幼いころから同じバージョン。「古い、古すぎる」
秋の夜は更ける。人は老ける。
「ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む」
小学3年生の頃に習った。子供には老けた歌だった。


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