暴行と死亡退院

つぶやき

 世の中に正義があるとは思わない。正義はテレビや映画の中にしかない。
 世の中の悪(あく)を正すものは法律しかなく、法律は手続きを踏まなければならない。
 悪は手続きを踏むことなく行われるが、法律は悪の事情を考慮する手続きを踏まなければ実行できない。
 手続きを踏んだら悪を正すことができなくなることもある。法律とは実にまどろっこしいものである。そのため悪がはびこり、必殺仕事人が必要となる。

 東京の郊外にある精神病院において、看護師数人が逮捕されたというニュースがあった。
 介護施設などにおける職員の、高齢者に対する暴行は今に始まったことではない。
 なぜ暴行事件が後を絶たないのか。確かなのは、老人施設の看護師や職員たちは年寄りに暴行したくなる、ということである。
 年寄りは言うことを聞かない、生意気なことを言う、人に命令する、汚らしい、人間として終わっている、誰も見ていない、バレることはない。こういうことなのであろうか。

 この病院で暴行が行われたのは、少なくとも45年前からであることは確かである。
 なぜ確定的なことが言えるかと言えば、私の叔母がこの病院に入院していたからである。入院して6か月後に死体となって返された。

 叔母は75歳のころには認知症を発症していた。すでに夫を亡くし、子もなく、住む家もないことから、妹である私の母と姉が面倒を見ていた。
 姉の近所にアパートを借り生活していたが、セールスマンが来るたびに多額の物品を購入するようになった。母は支払いに困り、公明党の都議会議員の紹介により、この病院に入院させることにした。

 母と私は叔母を連れて病院に向かった。最寄りの駅からバスで2、30分行った小高い所にその病院はあった。
 受付から病院内に入ると、大部屋小部屋いずれのベッドにも手枷足枷の拘束具があった。異様な病院である。
 その当時まだ患者の拘束についてはさほど大きな問題として取り上げられていなかったと思う。
 
 事務室で手続きを済ませ、私と母は叔母を病院に残し病院を出た。
 私はあの異様な病院の様子が気になった。私は門のところで、連れ戻そうよ、と母に言った。連れ戻したところで何もできないのを分かっていながら母に言った。
 母は、「そんなこと言ったってどうしようもできないじゃないか」、と泣いて私に言った。

 叔母が入院してから1週間ごとに、病院から請求書が届いた。
 数万円から10数万円の請求である。
 今から40年以上も前のことである。都の病院である。費用はさほどかからないと公明党の議員さんから聞いている。

 請求内容は飲食代が多かった。特に寿司代として毎回数万円が計上されていた。
 他は衣料費などの日用品である。
 叔母が食べたいというので出前を取ったというのである。しかしあの叔母がそんなに寿司を食べるはずがない。高齢であるし、叔母は茨城の霞ケ浦近くの農家の出であるから母と一緒で、川魚は好きだが寿司はそれほどの好物ではない。

 衣料費も、病院にいてどうしてそんなにかかるのか、と不思議であった。
 母は見舞いを兼ねて支払いに出向いたが、そのたび叔母の顔にあざのようなものが気になったという。
 病院の人からは、年寄りはよく転びますね、という話を聞いたと私に言ったことがある。

 叔母は入院してから半年で亡くなった。病院から引き取りの連絡があり、病院指定の葬儀社によって火葬をすませた。

 この異常な病院の告発にこれほどの時間がかかった。死亡退院が桁違いに多いことからしても問題としてとり上げられないことがおかしい。何度か都の調査が入ったというが、その都度、異常は認められない、という調査結果だったという。
 異常なのに異常があるとすることが難しい。下手に異常があるとすれば病院から訴えらられることもあるだろう。都議会議員からクレームが出るかもしれない。正義ではなく、単なる事実を明らかにすることが難しい。

 今回の告発はスマホなどによる、写真撮影や録音機能によるところが大きいのではないかと思う。いくら暴行がされていると言っても証拠がなければ誰も動かない。なん度も言うが警察は殺されてから来てくださいというところである。
 この事件は暴行事件で終わってはならない。人間最終処分場と言われている病院である。とんでもない実態がこの病院には隠れているはずである。
 かつての富士見産婦人科病院と同じような法律解釈の問題にしてはいけない。人間の存在の意味か問われる事件なのだ。
 
 叔母のことは、ずっと心にとげが刺さっているように、私の気持ちの中にある。
 この病院の名を新聞で見て、やっと摘発されたかと思ったが、同時に叔母のことを思い出す。あの日私は叔母を見捨てたのである。

 あの日入院手続きを終えたとき、女性の事務員が叔母の名を呼んだ。叔母は、その人はこの人です、と母を指差した。認知症で何も分からないはずの叔母が、その人は自分ではない、とはっきりと言ったのである。
 その時叔母は何か恐怖を感じているように見えた。その叔母の顔が今でも浮かぶ。どんなに怖い思いをしたのだろう。どんなに痛い思いをしたのだろうか。私は叔母をあの山に遺棄してしまったのである。(了)

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