暮れない日はない・生活は解決

つぶやき

 「生活とは様々な問題を解決し続けることです」という記述が昨日の新聞にあった。
 ある民間研究機関のシニアスペシャリストいう人の言葉である。

 辞書には、生活とは、「生存して活動すること」、「生きながらえること」、「世の中で暮らしてゆくこと」、などと記載されている。

 この言葉と比べてみると、有名出版社の辞書がつまらないことを掲載していることが良く判る。

 シニアスペシャリストいう人の言葉にとても感心した。生きていくことは様々な問題を解決し続けることであった。

 食事、洗濯、買い物、各支払い、通院。みんな面倒な問題である。簡単なことは一つもない。

 今のところ私のやっている生活は通院だけであるが、以前はそれもなかった。生活のすべてを妻がやってくれるからである。

 リタイアした身であるから、1週間に一度くらいは食事を作るか洗濯をするかしなければ妻に申し訳ない。

 このシニアスペシャリストの言葉は、単に生活という言葉の定義をしたわけではない。この言葉は、様々な問題を解決しえなくなった人の生活、ということを考えるためである。言うまでもなく単身高齢者の生活である。

 様々な問題を解決し続けることが生活なのであるから、それができなくなった単身高齢者の生活はもはや生活ではない、ということになる。

 おひとりさまの高齢化問題は社会の共通課題として認識されていないという。これほど福祉だ、介護だという社会において、単身高齢者の生活フォローがなされていないとは意外であり、情けない話である。

 単身高齢者が生きていくことの困難さは、死んで初めて気づかれることが多いらしい。
 緊急搬送されて病院で初めて生活困難であることが分かった場合、治療費を払える裏付けがなければ引き受けない病院も多いという。
 生活困難者を引き受けてしまった場合、放置することはできないから、結局は引き受けざるを得ないことになる。
  
 引き受けざるを得ない場合は、例えば病院スタッフが家に行って大家さんからカギを借りて、家探しをして年賀状から親戚を探し出すということも行われているらしい。
 キャッシュカードを借りて暗証番号を書かせて現金を引き出すこともあるという。

 たまたま引き受けてしまった病院などがなんとかしている、というのが現状で、他に誰かやってくれる人が、例えばお役所がやってくれる、ということは全くないらしい。

 成年後見制度というもがあるがこれはあくまで財産管理である。
 単身高齢者の生活管理が制度化されるべきだと思うが、今の行政も民間も手いっぱいであるという。

 手いっぱいというより、単身高齢者の問題を個人の問題としているということである。生きるも死ぬもその人の自由。行政が積極的に乗り出すということはない、ということであるらしい。

 単身高齢者の孤独死がどんどん増えて、地域社会が迷惑を受けるという事態にでもならなければ行政は動かないだろう。

 生活には解決しなければならないことがあり、人生には乗り越えなければならないものがある。解決し、乗り越えてきた先に、単身高齢者の困難が待ち構えているのではなんとも寂しい。

 もうじき80歳の壁というものに遭遇する。70代の生き方がこの壁を越えられるか否かの分かれ道だという。

 75歳にして通院するような体になってしまったが、「暮れない日はない」といつも腹を決めて病院に行っている。

 「明けない夜はない」は希望であるが、「暮れない日はない」は、ともかく何事もなく無事に終わる、ということである。今この言葉に元気づけられている。(了)

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