映画「生きる」は戦後間もない1952年に公開されている。あの焼け野原の写真を見ると、映画という娯楽がこんなにも早く作れるものかと思う。世の中の復興というものは意外と早いものである。
監督は黒澤明、主演は志村喬。大分前にテレビで見たことがあるが、ずいぶん長い映画だったという印象がある。
事なかれ主義の市役所の中で、なんの生きる意味も見いだせず、ただ無為な生活を送っていた初老の男が、胃がんを宣告され余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿を描いている。
ウィキペディアには、「黒澤作品の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したと評価される作品で、題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した。劇中で志村演じる主人公が『ゴンドラの唄』を口ずさみながらブランコをこぐシーンが有名である」とある。
この映画を思い出したのは、いとこの相続手続きのため、このところ市役所とか区役所の職員と接触することが多いからである。
私は公務員に対して偏見を持っているので、彼らと電話で話をしても不愉快になってしまう。言うことが責任回避から始まっているからである。
このところそのストレスなのか、胃がムカムカしてしようがない。
この映画が黒澤作品の中でもヒューマニズムの頂点に達したと評価されるらしいが、映画である以上見方によって評価は分かれる。
死を宣告された人間がその後どう生きるか、ということをテーマにすることは簡単なことではない。
今まで何の生きがいもなく無為に過ごしてきた、という人の職業は市役所の市民課長である。市役所に働く人達からすれば屈辱的な設定である。
私の印象としては死の迫った男が命がけで公園をつくるということよりも、お役所仕事への批判がこの映画のテーマではなかったかと思う。
男は映画が始まって半分くらいのところで死んでしまう。その後の映画のストーリーは、男が死んで通夜の晩での同僚たちの回想によって進んでいく。
同僚たちは常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に死んだ男の功績を讃え、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
しかし翌日には、通夜の席で死んだ男を讃えていた同僚たちはそんなことも忘れたかのように、新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。そんなシーンで映画は終わる
結局この映画はなんなのかといえば公務員批判である。市役所の職員であるからいわゆる地方公務員ということになる。どうせ公務員を批判するなら権力に直結している上級公務員をテーマにすればいいと思うが、どうしてそこまで地方公務員の事なかれ主義を批判したのか。
そもそも黒澤明にヒューマニズムを描くことは無理である。
椿三十郎で、捕まった若侍たちを救出するため、武器も持たない門番たちも皆殺しにするシーンがあるが、私の最も嫌いなシーンであり、リアリティーに欠けた部分でもある。
公務員と関わり合うことは愉快なことではないが、あそこまで地方公務員の無気力さを描くことはないと思う。
やはり黒澤明監督はヒューマニズムを描くことはできなかったのである。
格好いいことばかりで、人間を描くことは苦手なようだ。
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