昔の名前で出ています

つぶやき

 昭和22年に菊池章子さんが歌った「星の流れに」という歌は、戦後の混乱期、身を売って生きる女性を歌った歌であった。
 「こんな女に誰がした」という言葉が恨みがましいことであることは分かるが、ハッキリ娼婦を意味するものであることを最近まで知らなかった。

 この歌は東京日日新聞、現在の毎日新聞に掲載された女性の手記をもとに作られたものらしい。
 もと従軍看護婦だったその女性は、戦争が終わり中国から日本に帰ってきたが、焼け野原で家族もすべて失われたため、娼婦として生きるしかなかった。その身を手記に嘆いた。

 その手記を読んだ作詞家は、戦争への怒りや、やるせない気持ちを詞にして、戦争を告発する歌とした。
 作曲家は上野の地下道や公園に暮らす親を亡くした子供たちを見回りながら作曲した、とネットにある。

 この話は本当のことだろう。普通の家庭に育ち、教養も身に着けた女性が、体を売って生きていかねばならなかった時代があった。淡谷のり子さんはパンパン(売春婦の俗語)の歌だとして歌うことを拒否したらしい。

 菊池章子さんがこの歌を歌う姿を何度か懐メロ番組で見たことがあるが、いつも毅然として、いい歌だとは思うが、聞き心地のいい歌ではなかった。なにか強い意志というものを感じるからだろうか。

 娼婦を歌った歌には、なかにし礼さんが作詞作曲し、黒沢年男さんが歌ったものがあるが、ひどい歌である。だらけ切った社会への警鐘だというが、単なるエロである。なかにし礼さんの人格を表す詞である。
「星の流れに」には娼婦の悲しみがあるが、なかにし礼さんの娼婦には低俗な卑猥しかない。

 「星の流れに」以後の女性の歌は、ほとんど水商売の女性の歌になってしまった。原因は、作詞家の女性相手がクラブとかキャバレーのホステスしかいないからである。
 普通の女性を歌うと純情可憐な乙女ということになりあまりインパクトがない。水商売の女性の方が訳ありで面白いということであろうか。歌謡曲が衰退するわけである。

 今の時代はどうなのか知らないが、女性は過去を背負う。男は過去を背負わないとしたいところであったが、「ついて来るかい 過去のある僕に」という小林旭さんが歌った歌があった。
 男の過去とは何だろう。まさか離婚経験などとしおらしいものではないだろう。前科ということだろうか。 男の過去は前科、女性の過去は水商売。どうも歌謡曲というのは健全ではだめらしい。

 「昔の名前で出ています」という歌のいきさつを、先日NHKのアナウンサーが深夜ラジオで説明していた。説明するまでもない作詞家とホステスの痴話話である。
 アナウンサーは「昔の名前で出ていますとは、なかなかしゃれた話です」などと言っていたが、NHKのアナウンサーたる人がなにアホなことを言っているのか。

 この作詞家は一応名のある人である。そんなホステスの言葉を自分の詞にするとはなんとも節操のない話なのである。しゃれたどころか、下司ったい詞ですね、と言うべきものである。
 何度も書くが歌謡曲が消滅するわけである。(了)

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