もちろん私はビートたけしなどという芸人は好きではない。映画監督として外国で賞をとったことがあるらしいが、そのことによってこの人が才能豊かな素晴らしい人ということではない。外国からすれば異質であることが新しい才能ということである。
先日この人の談話というのか、現在の芸能界について一席ぶった内容がネットに載っていた。彼の基本的な物の考え方というものが現れている。
「演歌歌手とかの皆さんが良い時代があって、それがいつの間にかお笑いが出てきてダメになって。そのお笑いも、YouTubeとかいろいろ出てきてダメになって……。まあ基本的にお笑いはそういうところで頑張るもんで、俺なんか運が良くて、すごくチヤホヤされて悪いことばっかりしたけど、そういうのは終わるべくして終わったんだと思うよ」
「俺なんか運が良くて」と自らを悟っているのは、芸人にしては分かっている男である。その通り、この男は運以外何もなかった男である。
時代の波に乗った、というより時代の隙間にもぐりこんだということである。若い愛人とのスキャンダルで出版社に押し入り、暴行事件を起こしていながら芸能界を干されることはなかった。現在の松本人志や中居正広とどこが違うというのか。
ビートたけしはなぜこれほど長い期間テレビ界に君臨したのだろうか。彼が今引退したとすれば40年以上もの間、毎日のように各局に出演していたたけしを見ていたことになる。あの程度の芸人が何をテレビで演じたというのか。
たけしの存在は、テレビ業界の無節操、理念の欠如を示すものであり、現在のテレビ衰退の原因となったものである。
さんざんいいかげんなことをしてきて、「俺なんか運がよくて……そういうのは終わるべくして終わったんだと思うよ」という発言は自ら言う言葉ではない。
彼の基本的スタンスはこの発言にある。他人の評価として語られるべき言葉を、先回りして自分の言葉として発言している。人々はこの言葉に納得してしまう。その効果について彼は気がついているのである。
頭がいいということではない。機転が利くということである。
世間ではあまり理解されていないようだが、機転が利くことは頭がいいことではない。
大変稼いだそうである。富士が見える大邸宅で、何番目の女性か知らないが、その女性と悠々余生を過ごすそうだ。
そんな余生が過ごせるというのに、「終わるべくして終わった」とは、聞いた風な口をたたくな、と言いたい。
こういう芸人はたけしで終わりにしてほしい。世の中裏から見た生き方は目新しく思えるが、所詮それだけのことである。
コメント