久しぶりにブログ村を拝見した。梅の写真を掲載されている人が多い。
きのう航空公園の梅は満開だった。しかし梅園の空気はまだひんやりとして、澄み切ったものだった。
梅は春を知らせる花である。白梅、紅梅と、清楚な美しい花であるが、気高さと潔癖さを表現する花でもある。桜と花の品格を問うとすれば、格段に梅が上である。
昔は花と言えば桜ではなく梅のことであったらしい。昔と言ってもはるか遠い平安朝のことである。その同じ平安朝のときに、花と言えば桜ということに代わったという。
左近の桜、右近の橘と言うが、もともと左近は梅であったが、火災か何かを機に桜に代えてしまった。花の解説書にそんなことが書いてあった。
万葉集にはその3分の1が花など植物に関する歌だそうであるが、1番多く歌われたのは萩で、梅は2位、桜は5位である、などということが同じ本に載っている。
今我々が見る桜のほとんどはソメイヨシノという品種らしい。
江戸時代の終わり頃、今で言う豊島区あたりの染井村というところで、品種改良により生まれたものである。それまでは桜は山桜の固有種だけだったということになる。
ソメイヨシノのお陰で今は日本中桜だらけである。
桜があれば名所になる、と思っているのだろう、スペースがあれば手あたり次第桜を植えたという感じである。
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」意味は少し違うかもしれないが、つまるところ桜は賑やかな騒々しい花であると、いにしえの歌人は言っているのである。
早春賦という歌が好きである。小学校の卒業間近の時習った歌である。
音 楽の先生は佐々木先生という女性であった。この歌がいかに素晴らしい歌であるかを、顔を紅潮させながら生徒に説明していたのをよく覚えている。
小学唱歌にも、もちろんたくさんの名曲はあるが、本格的なピアノ伴奏譜のある歌はこの歌が初めてではないだろうか。
小学校も低学年の時はオルガンであるが、高学年になると音楽室となり、グランドピアノになる。
音楽室いっぱいに広がるピアノ伴奏による早春賦は、先生が言うように素晴らしい歌であった。
しかし小学唱歌は難しい詞が多い。早春賦もそうである。歌っていても意味が分からない。
「氷解け去り葦は角ぐむ。さては時ぞと思うあやにく」こんな歌詞は全く分からない。
音楽の時間、歌詞の内容について教えることはなかったように思う。
確か安曇野だったと思うが、早春譜の記念碑が建っていた。
行楽地で歌謡曲の歌碑を見ると行楽地の価値がガタ落ちするが、この曲の歌碑はあるべきところにある、という感じでとてもいい。
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