「日活映画」という言葉に何を、あるいは誰を思い浮かべるだろうか。
ロマンポルノを思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、しかしそのことに関心があってこのテーマを始めたわけではない。日活映画について語るにはロマンポルノは避けて通れないことになっているが、私は観たことがない。
日活映画をこのブログに取り上げたのは、「大人と子供のあいのこだい」という題名の映画のことから思いついたことである。
私はこの映画が作られていたことを知らなかった。
この映画の原作は、私が通った定時制高校の、何年か前の卒業生が中学生の時に書いた日記である。
友人から、卒業生の書いた本が出版された、という話を聞いた。すごいことだなと友人と話をした記憶がある。その本の題名が「大人と子供のあいのこだい」であった。
先日この本のことを思い出し、その後の作者のことなど調べてみようと思ってネットを見たら、この題名が記載されていた映画のポスターがあった。そのとき映画化されていたことを知った。
日活映画で、主演は浜田光夫と松原智恵子。「俺は勉強得意だけと貧乏だから高校は諦める」という副題のようなものが書いてあった。
しかしこの映画について書こうというのではない。この映画のことも含めて、日活映画の不思議さというものについて書いてみたいのである。
日活映画の何が不思議なのか。
あの国籍不明というか、西部劇というか、ギャング映画なのか、渡り鳥なのか何が何だか分からない映画を作っている会社が、まともな文芸作品を世に出しているのである。これが不思議なのである。
私の知っているまともな作品とは、にあんちゃん、警察日記、路傍の石、あゝひめゆりの塔、ビルマの竪琴などである。みんな名作である。
見たことはないが、キューポラのある街、愛と死を見つめて、などもいい映画であったのだろう。話題作といえば 人間と戦争、にっぽん昆虫記、幕末太陽伝などがある。これらの名作はどうしても石原裕次郎や小林旭の日活とは結び付かないのである。
私は日活映画というものを劇場で見たことがない。テレビでは見たことがあるが、それは見終わったら日活映画であった、ということである。
なぜ日活映画というものを劇場で見たことがないのか。見ると不良になると親から言われていたからである。
親たちが言う、見ると不良になるという映画は、どうやら石原裕次郎や小林旭の映画であるらしい。あの当時裕次郎さんや小林旭さんは時代の先端を行っていた。ヘヤースタイルも昔の目から見れば堅気のようには見えない。
どうしていつもキャバレーにいるのか、なぜギターを持って渡り鳥になるのか、整形してまで悪人面にするのか。どうしてみんなピストルを撃ちまくっているのか。古い人間に分かるはずはない。
親たちは、これでは子供は不良になってしまう、と思ったのであろう。
見たこともないのにこう言っては失礼だが、石原裕次郎さんや小林旭さんたちの映画は本当にいい映画であったのだろうか。
わけの分からないアクション映画を作っている会社が、立派な訳のある映画を作っている。真面目に、けなげに、社会の底辺で、貧しくとも懸命に生きる人々や若者を描いた作品が多い。こんな映画会社は他にない。
まるで1つの会社に2つの会社があるようだ。ひとつは労働組合が経営しているような会社。もうひとつは、何でもいいから儲かればいいという経営者が経営している会社。
私は石原裕次郎さんや小林旭さんの映画は1本も見たことがない。これは私の自慢話なのである。しかし口には出さないようにしている。どこに熱狂的なファンがいるか分からないからである。
映画好きであった義兄と日活のアクション映画などについて話をしたことはもちろんない。もし話題にしたらまたハッハッハッと笑うだけで、話にならないと思う。
黙って話題にしないことも知性である。義兄の1周忌が近い。 (了)
コメント