日本人は本当にきれい好きか

つぶやき

 風呂場を改装しているので、この月曜以来風呂に入っていない。久しぶりに我が家から車で15分ほどの、いわゆるスーパー銭湯に行くことにした。

 土日でもないのに駐車場は混雑していて、以前来たときより入浴料は上がっていた。

 頚椎症や狭窄症のせいで足元が不安である。風呂屋でころんではみっともないし危険だと、注意しながら湯船に足を運んだ。

 この風呂屋の売り物という炭酸風呂は、先客が何人も串おでんのように足を延ばしているので入るすきもない。一度入ると出ようとしない。仕方なく他の湯に入ることにした。

 年寄りだらけである。日本の風呂は素っ裸で入ることになっている。今まで疑問に思うことはなかったが、どうしてそういう習慣になったのだろうか。

 久しぶりに銭湯に来ると、年寄りの皺だらけのケツだのなんだの見たくもないものが目に入る。

 他人と同じ湯につかることが衛生的であるはずがない。どんな病気を持っているかも分からない。

 風呂屋というのは、こんなに不衛生なところだったのかと思う。大きな湯船に入る気持ちよさは何事にも代えがたいが、できることなら二度と来たくない。そんなことを思いながら早々に出た。

 子供の頃通った銭湯は、東京下町の駅前繁華街にあった。幼かったときは母や姉と女風呂に入ったものだ。

 今と違い湯を循環してきれいにするということがないから、遅い時間の湯船の湯は真っ黒に汚れていた。

 時にはクソが浮いていることもあり、それをよけるように風呂に入っていた。今思うと考えられないことであった。

 下町の盛り場の風呂屋であるから男湯は入れ墨だらけであった。背中一面、般若だの蛇だのが彫られたその筋らしき人たちが、三助にその背中を流させていた。子供が12円の入浴料を覚えている。

 日本人はきれい好きと世界的にも言われている。中国人などは日本に来てホテルはもちろん街並みの清潔さに驚くという。
 
中国というところは何千年も前から倫理や道徳が語られた国である。当然モラル意識の高い民族かと思うとそうでもないらしい。

 民主革命を経験している国ではないのに国民の権利意識は強いようだ。

 倫理や道徳を説く国であるからモラルが高いのではなく、それを説かなくてはならないほどモラル意識が低い民族ということなのだろう。

 しかし日本人は本当にきれい好きなのだろうか。ほんの前まで日本人は家の中はきれいにするがそれ以外のことについては無関心だ、と言われていたような気がする。

 犬の糞は道路にそのまま、タバコも路上に投げ捨てであった。いまでこそ健康志向から喫煙の場所についてはやかましくなったが、人の迷惑など考えもしなかったものである。

 風呂の話に戻るが、大浴場というものは日本に限ったものではないらしい。昔のローマには大浴場があったという。

 しかし外国の風呂の印象はシャワーであり、バスタブを使っても湯は1人1回の使いきりということにある。
 
 日本はきれいな水が豊富にあるから入浴の習慣が広まったというが、そんなに水が豊かではないという国において水は使い捨 てであるのに、日本にはその習慣が定着しなかった。

 昔田舎の風呂に入ると電気が暗くよく見えないが、電灯をひき寄せると垢が浮いている。

 同じ湯に何人もの人が入るが、毎日水を変えているわけではないのである。

 井戸水を汲んでそれを風呂に貯めるわけだから結構重労働である。毎日取り換えるわけにはいかないということだろう。

 日本人はきれい好きなのであろうが、それをもう一歩進める考えがないような気がする。

 きのうの夕方、一応風呂のセッティングが終わったということで今朝風呂に入ってみた。

 年寄りには入りやすく出やすいということなのであろうが、思ったより湯舟が浅く狭い。たっぷりとした湯につかるという感じがない。

 大きな風呂の場合はお湯の重さを感じるからたっぷりとか、ゆったりとかいう満足感があるのだろう。

 そうなるとやはり大浴場はいい。しかしあの素っ裸と不衛生はいやだ。せっかく出来上がった風呂だが、納得するには少し時間がかかりそうだ。(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました