日本の野球を忘れていた

つぶやき

 このところブログを書く気がない。毎朝の便通のためと、日記代わりのブログであるから、書きたくなければ書かなければいいのだが、書かなければ宿題を忘れた小学生のような気分にもなる。

 久しぶりにプロ野球を10分ほど見た。どことどこのチームの試合なのかなかなか分からなかったが、巨人・阪神戦であった。

 以前は野球中継を見ることはなくても、巨人が負けたことの試合結果はチェックしていたが、いつの頃からか全く関心が無くなった。

 ピッチャーの間合いが長い。大谷選手以来メジャーリーグを見ることが多いせいかイライラする。「早く投げろ!コノヤロー!」という投稿があった。

 阪神のユニホームは縦縞のはずだが、縞のないユニホーム。これでは伝統の巨人・阪神戦の雰囲気がない。

 「縦縞を横縞に変えてでも…」という球史に残る言葉があった。

 清原和博選手が1996年にFA宣言した時に、阪神監督・吉田義男氏が、「(ユニフォームの)縦縞を横縞に変えてでも…」阪神に来てほしいと言った言葉。

 この言葉は野村監督が言ったという説があるが、それは謝りである。ネットも誤りをする。

 野球というのは監督次第と言われるがそうかもしれない。広岡達朗氏が監督であったヤクルト、西武時代の実績を見ると、優勝など思いもしなかったチームが優勝している。
 
 野球をつまらないものにした張本人、と広岡氏は批判されるが、そう言うのも気の毒な気もする。
 
 誰が考えたのか知らないが、ヒットが1本も無くして1点を取るという野球が面白い訳がない。しかし負ければ監督のせい。せこい野球をせざるを得ない。

 野村監督。現役時代、長島や王に先んじて三冠王を達成した選手であるが、あまり評価されることはなかった。

 三冠王を取ったことに、「余計なことをした」というような白けた批判がなされていたように思う。

 あの時代、なにより長嶋や王が三冠王にならなければ話題にならなかった。「長嶋・王はひまわり。自分は月見草」と野村監督は言っていた。いじけた言葉だが、そう思わされる時代であった。
 
 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
 野村監督には名言が多い。
 
 野村監督の夫人は野村沙知代さん。「何故」という問いが不思議にならないほどの組み合わせである。

 野村監督は沙知代さんが亡くなってから2年数ヶ月で亡くなっている。
 あまり評判の良くない沙知代さんだったが、野村監督にはかけがえのない人だったらしい。

 

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