昨日の戸籍物語の続きとなるが、25歳で父親知らずの子供を産み、42歳で17歳違いの男性と結婚し、61歳で亡くなった女性の人生。いろいろ考えさせられる人生である。
その女性が20歳前後の娘盛りの頃、日本は戦争中であった。男たちは戦争に取られ、恋愛も結婚の機会も持てなかった女性の話はよく耳にする。
母は20歳くらいのときに結婚しているが、離別してから再婚するまで約10年の間、軍需工場などで働いていたらしい。
親戚の勧めでの結婚であったから、それが破談になっては狭い田舎社会のこと、故郷に住むことはできなかったようだ。
再婚相手は傷痍軍人であった。
成人して初めて戸籍を見て、父親が誰だったとか、自分が養子だったとかという話も多い。
三浦綾子さんの「氷点」は犯罪者の娘を養子にする話であった。あのよう子は陽子だったのか洋子だったのか思い出せない。いろいろ複雑な人間関係があった。人生できれば平凡に終わりたい。
家内の東京科学大学における定期検査は「変化なし」。ひとたび悪化すれば致命的な疾患であるが、ここ10数年変化なしである。無事80の坂を超えられそうである。
「日日是好日」という言葉はいろいろな読み方があるらしいが、「ひびこれこうじつ」という読み方が馴染んでいる。
意味もたんに、「毎日毎日が素晴らしい」という意味だけではなく、「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」とする解釈や、さらに進んで、「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ」という解釈もある。
この2月と3月で我々夫婦は満78歳になる。家内も私も病気に脅かされながら、なんとか元気に生きている。
病院に行く度に思うが、夫婦2人連れの人が多い。どちらかがついていかなければ病院に行けない夫婦が増えている。
「日日是好日」という言葉は、ただ「毎日毎日が素晴らしい」という意味でいい。
それでなくても人間の不幸というものはある日突然来るものである。
それが来ないうちは、ただ「毎日毎日が素晴らしい」日々であって欲しい。
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