去年の7月からこのブログに投稿をはじめて、今回で137回目になる。
いい文章を書きたいとか、人に読んでもらいたいとか、そんなことを考えてのことではない。ランク付けがあるようだが全く関心はない。
書いてきたのはひたすら便通のためである。
仕事をやめてから便秘になった。椅子に座ることがなくなったからだと思う。
定年になった人が便秘になりやすいという話がある。
姿勢を正しパソコンを前に座り、ブログ作成のため少しは頭を使い、便の便りを待つ。ブログは高齢者とってありがたいものである。
ブログを書くにあたって、いつも気をつけていることがある。筋道の通った文章を書くことである。読みなおしてみると何を言いたかったのか自分でも分からない文章が結構ある。
自分の文章を客観的に読むことは、自分の口臭に気がつかないのと同じくらい難しい。
感じていることをそのまま書けばいい、と文章の指導書などは言うが、感じたことをそのまま書くことが難しい。そう単純なことではない。
料理の材料は、一晩か二晩か冷蔵庫で寝かせるという話をよく聞く。それによって味が落ち着くということになるらしい。文章も同じことが言える。
一気(いっき)に書き終えたときはうまくいったと思うのだが、それはほとんどの場合勝手な思い込みで、一晩たって読んでみると文章になっていない。自己満足だけで正確性も客観性もない。
一気に書いたものがまかり通るのは歌謡曲の世界である。意味不明であるところが、さすが大家だ、ということになるから、意味があったら意味がないことになる。
人に伝える文章の模範生は訴状ではないだろうか。用件しか書いていない。
事情を説明して人に伝えるものが小説や映画ということになる。
三浦綾子さんは幼児の殺人事件から、人間の罪、愛、憎しみを描く氷点という大作を書いた。
山田洋次監督は一枚の黄色いハンカチが屋根に舞っている話から、幸せの黄色いハンカチという映画を作った。
NHKの短歌の番組で高校生の作品が評者から絶賛され、その内容について評者が解説した。
するとそれを聞いていた作者である高校生が笑いながら、「僕が思っていたこととぜんぜん違いますよ」と評者に言う。めずらしい光景である。
評者の人は「短歌の解釈は人様々でいいのです」と言っていたが、そんなことはないと思う。評者の解説は全く的を外れていた。
私もブログに写真を掲載したいと思うがやり方が分からない。時代に取り残される不安がなくもないが、その反面、文章を書くことにこだわりたい気もある。
便秘と認知症の予防。いずれにも効果があればいい。(了)
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