夏場所は2週間前に終わったが、誰が優勝したのか思い出すのに少し時間がかかった。
このところ若い力士が活躍している。こういつまでもモンゴル勢の天下が続いては、相撲協会も大手を振って町を歩けないだろう。
相撲は力と力のぶつかり合いと言われているが、それにしては勝敗がせこい場合が多い。
立ち合いに身をかわすのもそうだが、足が土俵を少しでも出れば負け。土俵の外に出ていても宙に飛んでいれば負けにならない。
技の競技なのか離れ業の競技なのか分からない。
死に体とか、かばい手という相撲用語がある。
相撲も技を重視して勝敗を決める筋の通った競技であることを示すものであるが、この判定が行われたときは必ずと言っていいほど物議をかもす。
いくらでもいちゃもんをつけられる判定であるからである。
せっかくのルールであるが、最近ではあまり行司さんも親方衆もSNSの反響を恐れてか言わないようである。
物言いが多すぎる。土俵が狭いことがその一因と思われるが、昔にはいなかったような大型力士が今は多いのだから、少し土俵を広げたらどうだろうか。
結局ビデオで勝敗を決めるなら、親方衆の協議など無駄である。
相撲に比べて同じ格闘技でも柔道はちょっと違う。競技時間は4分ということらしいが、勝負の判定が事細かく決められている。
しかしいまさら言っても仕方ないが、ブルーの柔道着というものはどうしても馴染めない。柔道は姿三四郎のときから白ということになっている。
それに柔道は1本勝ちと決まっていたものだが、最近は1本勝ちをなかなか見ることができなくなった。
何十年か前の東京オリンピックで、日本柔道はオランダのヘーシンクに負けたが、投げ技ではなく寝技であった。
柔道は鮮やかな投げ技1本で勝敗が決まるのが本筋だと思う。神永は柔道で負けたのではなく重量で負けたのである。
もともと柔道には無差別級などというものはなかった。
柔道の判定ルールに「教育的指導」というものがあることを知って、なるほどと感心したことがある。審判員が両手をグルグルと回して、さも「さっさとやれ」、というような仕草のことである。
闘う姿勢を示さなければ反則となってしまう。昔からあったルールなのかは知らないが、しかし他の格闘技ではあまり聞いたことがない。
話はいつものパターンになってしまうが、ちゃんとした政治を行わない政治家たちに「教育的指導」を与え、3回指導を受けたら失格退場ということにならないだろうか。
あれほど「反省しなければ」、と言っていながら政治資金規正法改正はザルである。野党の批判などどこ吹く風。やるべきことをやったと述べている。確かに彼らのやるべきことをやったことは間違いない。
やはり安倍政治を受け継いでいる。「国民はすぐに忘れるものである」
自民党の党訓にはこのことが第1条として掲揚されているのではないだろうか。
これほど確実で間違いのない党訓というものはない。(了)
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