政 治 家 の 人 々

つぶやき

 先日テレビの国会中継で、岸田総理が少子化問題について演説をしていた。演説というより原稿を読んでいた。そういえば国会において原稿を読まないで演説をする政治家というものを見たことがない。

 質問者は予め質問内容を提出し、それに対して所轄省庁の担当者が答弁書を作成し、それを大臣が読みあげるということになっているから、必然的に原稿を読むというスタイルになる。大臣は何も考えずに答えることになる。
 所轄省庁の担当者の答弁書作成は連日深夜に及び、公務員志望者減少の要因になっている。

 岸田首相の話に戻すが、「少子化問題は我が国の存亡にかかわる重大な問題であり、もはや先送りにすることはできない」、と原稿を読み上げたのである。

 政治家の口から「先送り」という言葉が出るとは思わなかった。先送りなど一度もしたことがない、というのが政治家の言葉だと思っていたからである。

 岸田総理。悪い人のようには見えないが、なにか印象の薄い人である。よく言ってハッタリのない人のようであるが、総理大臣としての魅力が今一つ出ていない。原稿を読む姿も、ただ読んでいる、というだけで訴えてくるものがない。

 ハッタリと言えば安倍総理大臣ということになるが、だからと言って魅力があった人ではない。安倍さんは亡くなられたが、何よりトランプが大統領に当選した時のあの訪米を思い出す。

 どこの国の首相や大統領も行かないのに、まだ大統領に就任していないトランプの私邸を訪ね、当選祝いをしたということだが、あの時の安倍さんの行動に恥ずかしさを感じたのは私だけではないだろう。トランプの妻や娘にまで愛想を売り、トランプに従順の意を示した。

 一国の総理大臣がすることだろうか。日本はそこまでしてアメリカの機嫌を取らなければやっていけない国になってしまったのか。あの訪米に対して批判があったのかどうか知らないが、本当に情けない姿であった。

 しかし安倍さんは恥は承知でトランプ詣でをしたのだろうか。そこまでしなければ日本は存在しえないとするなら、日本という国はもはや独立国ではない。
 
 日本の国会議員というのは何をしているのだろうか、という疑問を持つほど何もしていないのではないかという気がする。国会議員が就職先であり、家業であり、食べていけなくなったタレントの転業先である、というのが実態である。

 何をするために議員になるのか。答えられる国会議員は何人いるだろう。議員数が多すぎる。議員になって受け取る報酬やいろいろな手当金、特待制度など、働きに合った金額とは到底思えない。調査費など自分のこづかいと思っているのではないか。

 かつて小泉チルドレンであり、今は落選を売り物にしている男性タレントが、当選したら外車を買うつもりだった、と言った話はよく聞くが笑い話ではない。

 こんな連中が一度でも議員になれた社会がこの日本である。政治が全く存在していないと言っていい社会である。

 女性の政治進出に反対するわけではないが、三原じゅん子、野田聖子、高市早苗、杉田水脈という議員さんたち、どういう目的をもって国会に行っているのだろうか。

 八紘一宇だ、反社会組織だ、原発で死んだ人はいないだ、強姦されるのは被害者に落ち度があるからだ、と本当にこの民主主義国家日本の国会議員なのだろうか。
 三原じゅん子議員の八紘一宇発言はひどい。何を分かって口にしているのか。

 政治家の顔つきというものがどうも気になる。顔は心の反映と言うし、顔は職業によって作られる、という話もあるらしい。顔のいい悪いを言っているわけではない。やはり顔は人間の心や考え方を表していると思える。

 公明党の山口代表。ハンサムな人である。しかしその端正さは、自民党と連立を組む公明党のインチキさを隠しているように見える。自民党の二階さん。もちろん二枚目ではないが、自民党の体質そのものを表しているとしか言いようがない。

 政治家の人気とはなんだろうか。どうして内閣支持率はいとも簡単に上がったり下がったりするのであろうか。深い理由があるとは思えない。

 小泉総理が郵政改革を掲げて解散総選挙に打って出るときテレビ演説をした。
 今までの総理大臣にはない迫力ある演説を行い、見る者にそれなりのインパクトを与えたようだ。

 政策に反対する議員の選挙区には刺客を送り、多数の小泉チルドレンが誕生した。郵政改革とは所詮小泉さんの復讐ではないかと思うが、世論は小泉さんに勝利を与えた。

 小泉さんは安倍さん以上のハッタリ屋である。その小泉さんは今原発反対運動をしている。どうしてこんな人に人気があった のか。原発反対運動は免罪符と考えているのではないだろうか。
 自民党に籍を置いて内閣総理大臣になった人である。最後まで自民党の党員として原発再開運動に奔走すべきではないか。

 今年のNHKの大河ドラマはまた家康だそうだ。日本の社会は信長、秀吉、家康の時代が好きである。現代の社会に通じるものがあると考えているのだろう。

 組織における人のあり方というものは家康に学ぶ、という風潮がひと頃あった。山岡荘八が書いた小説徳川家康である。サラリーマンはこの小説を読んで会社における身の処し方などを学んだようだ。

 自民党の国会議員というものもこの域から出ていないのではないか思われる。

 日本の政治家は、世界への関心や政治のあり方ということを考えるより、党内の中にどう身を置き、どう動き、どう党に認めてもらうか、ということが政治と理解しているようである。

 日本の若者は世界に飛び出すような気力も知力もないと言われるが、それを言うのも酷である。日本はあの鎖国をした時代から何も変わっていないのかもしれないからだ。(了)

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