濁悪の此の世行く 学会の 行く手を阻むは 何奴なるぞ
今日もまた明日もまた 折伏の 行軍進めば 血は沸き上がる
北山南河は邪宗の都 威風堂々と 正法かざし 駒を進めば 草木もなびく
これは創価学会のいわゆる学会歌と言われる「威風堂々の歌」の抜粋である。濁悪は「じょくあく」と読む。折伏は「しゃくぶく」と読み、布教活動のことである。北山南河は京都のことらしい。左手を腰に当て、右手はこぶしにして振り上げ振り降ろして軍歌調に歌うのであるが、もともと軍歌の歌詞を変えたものである。
私はこの歌を中学生の頃、人前で歌ったことがある。そのころ私も家族も創価学会の会員であった。
大学生の頃、母を喜ばせたいと深夜アルバイトで得たお金で、兄と共に母を京都に誘った。しかし母は京都に行くことを執拗に渋った。行っても寺院には一切足を踏み入れなかった。
池田大作氏が95歳で亡くなられた。訃報に接して思わずこの歌が頭に浮かんだ。
人々の幸せと世界の平和を目指した創価学会の歌がなぜ軍歌なのか。なぜ集会には部隊旗なるものが飾られているのか、不思議でしょうがなかった。
池田氏の死が報じられ、早くも創価学会や公明党への影響が取りざたされているが、そんなに影響はないと思う。池田氏が一切表に出なくなってから10年以上過ぎているが、会員の中に動揺はないようだ。
会員が二世三世の時代になり、会員数の減少による活動の停滞はあっても相変わらず熱心な信者は多く、組織は盤石のようである。日蓮正宗から破門されても組織に影響はなかったようだ。
池田氏を一度見たことがある。池田氏が会長に就任して間もない昭和36年に、国立競技場で「国士10万の集まり」という男子青年部の集会があった。私が中学2年生のときである。
国立競技場の収容人数が何万人か知らないが、それこそ通路までびっしりで、トイレに行くことを我慢させられた。
一通りのセレモニーが終わり、池田氏は確か歩いてだと思うがグランドを一周した。周りの人はみんな泣いている。私も泣いたのである。この時池田氏は33歳であった。
人々の貧しさと人生の理不尽さを組織にした人である。天才と言っていいほどのオーガナイザーであった、と同時にあれほどの組織を作り上げた人である。柔和であるが、激しい人でもあったはずである
小説人間革命において、山本青年(池田氏)と2代目会長戸田城聖氏との運命的な出会いが描かれている。池田氏はこれからの学会を背負う青年と運命的な出会いをしたのだろうか。
心からご冥福を祈る。(了)
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