小津監督の東京物語は、実の子供たちは老父母に冷たかったが死んだ息子のお嫁さんは優しかった、という印象を観る者が受けるように作られている。
子供たちしてみれば人生の最盛期、突然親が上京してきても思うようにかまってあげられないという事情がある。
お嫁さんは勤め人の身、これからたぶん二度と会うことのない亡き夫の両親に、何日か優しく接するのもそんなに面倒なことでもなく、夫の供養にもなると考えたかもしれない。
実の子供たちが不親切で、お嫁さんは親切、と言うのは幼稚である。小津監督は自然さを装うが不自然なことが目立つ。
夫が死んで、姑と一緒に暮らしたくないから家を出て、ひとりアパート暮らしをしている、という女性のブログがあった。
夫には兄弟がいるが、長男の嫁として姑の面倒を見るのは当然だと兄弟たちは思っていたらしい。そんなのまっぴらごめんだと蹴とばしたことになる。
他人のブログは滅多に見ることはないが、結構きつい表題であったから目を引いたのかもしれない。
この女性がどういう人なのか知るはずもないし、どのブログなのかも覚えていないが、いい決断をしたことになる。
よほどお姑さんとはそりが合わなかったのだろうが、そういう決断ができる人であるから激しいものを持っている人なのかもしれない。
家を失っても合わない人とは暮らさないほうがいい。
妻と夫の親族との関係(姻族関係)は、離婚すれば当然に消滅するが、夫が死んでも当然には消滅しない。
しかし消滅させることができる。姻族関係をやめたいという届け出(姻族関係終了の意思表示)を役所に提出すれば無関係となる。
夫が夫の親より先に死んだ場合、夫の親の相続に関して妻はなんの相続権もない。
姻族関係が継続していても相続人にはならない。親からすれば嫁は他人なのである。
しかし姻族関係が継続していれば、嫁さんには義父母の扶養義務がある。納得しにくい扱いである。
子供のいない夫婦において夫が死亡した時、夫に兄弟がいれば妻と夫の兄弟が相続人となる。
相続は下に流れることが本来であるが、場合によっては上にも横にも流れることになる。
特に配偶者と兄弟との横に流れる共同相続は問題を生ずる。
亡き夫と築いてきたものに兄弟が割り込んでくるからである。この規定は廃止した方がいい。
夫婦間に子供がいないときは、妻の単独相続にすべきである。もう夫の親も兄弟も関係ないはずだからである。
一定の親族間には扶養義務というものがある。これは生活保護などの社会保障費を削減することがその目的でもあるようである。
お上に頼る前に親戚同士でなんとかしろということである。
つき合いの薄い親戚に対しても扶養義務が問われることがあり得る。親戚の貧しさが場合によっては我が身にふりかかってくる。こればかりは気をつけようがない。
扶養義務が問われるまでもなく、つき合いのある親戚は面倒を見なければならないことになる。母は無一文になってしまった姉を、入院費から生活費まで金も無いのにすべて負担した。
血のつながりのある親族関係は、どんなに薄まっていても断ち切ることができない。
血のつながりに大した意味はないと思うのだが、社会保障費の削減という話を聞くと、血のつながりを根拠にしないと扶養義務が成り立たないようだ。
日本人は昔から血のつながりに弱い。 (了)
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