今から40数年前、早稲田大学で入試問題の漏洩事件があった。
試験官として立ち会った学生数人が、試験前に都内の学習塾から依頼されて作成した模範解答の中の問題と、試験当日の実際の入試問題が酷似していることに気づき発覚したものである。
入試問題は大学直営の印刷所から盗まれ、大学関係者の手を通じて、不正入試を斡旋する人物に渡ったとされている。
学部は商学部であった。以前から早稲田の商学部には不正入試のうわさが絶えなかった。何人もの職員たちが逮捕され、自殺者も出た。
大学はその入試問題を不正に入手した受験生9人の合格を取り消し、さらに過去にさかのぼって調査を行い、同グループの斡旋で不正入学していることが判明した卒業生40数名と在学生10数名に対し、入学取消と学籍抹消の処分をした。厳しい処分をしたことになる。
私はこの事件を、電車の中で人の読む新聞を見て知った。
犯人の中に印刷所の職員がいることを確信した。と同時にこの印刷所の実質的経営者である人物を思った。この印刷所の所長さんである。
私は学生時代に、この印刷所の下請け会社で働いていたことがある。
印刷した問題を盗むことができるのは1人の男しかいない。思った通りその名前が数日後の新聞に載った。
そして苦渋に充ちた所長さんの顔も大きく映し出されていた。所長さんがなによりも恐れていた事件が起きてしまった。
盗んだ男は所長の縁故者であった。早稲田大学の入試問題の印刷を一手に引き受ける印刷所である。なにより厳重な管理体制がひかれていた。
印刷物を管理する責任者として所長は自分の縁故者を信頼し任せた。その男に裏切られてしまった。
この男は真面目な人であったが、いつまでもこんな印刷所にいてもしょうがない、ということをよく口にしていた。事件当時は40歳くらいだと思う。
あれほど厳重に入試問題の印刷を監督していたのに、所長さんは一瞬にして人生を無にしてしまった。まだ60になっていなかったはずである。
勤労学生である私にスーツを新調してくれたこともあった。世話になった人である。
事件後印刷所は大学構内を出て、入試問題の印刷をすることはなくなり、その後印刷所がなくなってしまった。
現場検証だったと思うが、問題を盗んだ職員が逮捕後初めて警察官に伴われて印刷所に来た。そして所長の前に土下座した。
所長はその手をつかみ何か言ったように見えたが、テレビ画面であるから良く分からない。
盗みの謝礼は500万円だったそうだ。そんなわずかな金のために所長はすべてを失ってしまった。
所長は彼に何を言ったのだろうか。画面からは彼を責めているようには見えなかった。なぜ土下座する彼の手を握りしめたのであろうか。
私が若いころ勤めていた建築会社は、バブル崩壊後資金繰りに行き詰り破綻した。
しかし一部上場の、マンション建設においては業界トップの企業であることからか、銀行は債権放棄に応じ、会社は創業一族の手を離れ、建設省出身の官僚が社長の座に就いた。
その当時創業社長はすでに亡くなっていて、経営はその社長の妻の弟が実権を持っていた。国立大学の法学部を出た人物で、いわゆる土建屋と言われる建築業界においてそのスマートな人柄が目立つ人であった。
バブル期、この社長の明晰さをもってしても行き先を見通せなかったようだ。バブル景気の強制着陸により、土地取得を何より優先させた企業は立ち行かなくなってしまった。
保有するすべての株式を提供したという話を伝え聞いた。経営から一切手を引いたようだ。その後の動向を目にも耳にもすることがない。
創業者に対する詫びを思って生きているのだろうか。創業家の苗字3文字のうち2文字が社名に残っている。
再起しない生き方というものがある。私の心に残る人たちである。(了)
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