きのうは母と義父母の墓参り。日差しが強かったが、木陰は秋の風。
 松戸を抜けて船橋方面に向かうが、街並みの汚さが目に付く。
墓参を済ませ、帰りは花輪のインターから都心に向かう。都心のへりに張り付くような、遮音壁で景色も見れない高速道路で帰るより、街中を走って久しぶりに都心の景色を見ようと思った
京葉道路を小松川で道を変え、木場、門前仲町から永代橋を渡り、茅場町、日本橋、大手町を通過して目白通りへ。
永代橋から月島方面のタワーマンションの壮観さに驚くが、地震が来たらどうなるのだろうかという思いが先にくる。
茅場町あたりから超高層ビルの林立。道路は昔のままであるから特別広いということはなく、息がつまるような圧迫感を感じる。
関越を降りて我が家に帰る道すがら、町というのは緑があって低層な家並みがある風景が心休まるものだと感じる。
門前仲町で20数年振りに甥っ子に会う。幼い頃可愛がった甥っ子だが今年60になる。白髪が多く、腹も出ていた。
義兄が経営していた紙の加工所を継いでいるが、この仕事もこの時代衰退産業。以前は何人か使用人がいたが今は彼ひとり。
妻ともとっくに別れ一人住まい。食事はどうしているのだろうか、生活はできるのだろうかと心配するが、心配しきれるものではない。
義兄は山梨の出身だが、中学を出て東京の製本屋で住み込みで働いたらしい。
20歳の半ばにささやかな工場を持ち、私の姉と結婚して3人の子供の父親となった。
40代で住まいを兼ねた小さなビルを建てるまでになったが、その商売を盛業のまま息子に継がせることができなかったことは、彼は何のために働いてきたのだろうかと空しくなる。
甥っ子の別れたお嫁さんは、男性週刊誌にも掲載されたこともあるグラビアアイドルというような人であったが、なかなか利にさとい人でもあった。
彼女が予想したように甥っ子はまさにジリ貧。親の借金まで抱えているらしい。
人生年取ってジリ貧はつらい。しり上がりに良くなることはないが、今まで通りに普通に生活できるというのが、年取ってからの生活であってほしい。

  
  
  
  

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