まともな会社に入ったこともなく、まともな仕事をしてきた経験もないので、世の中にまともな会社や仕事があることは実感としてない。
「まともな仕事をしてきた経験がないというのは、あんたが努力もせず、一生懸命働かなかったからだ」という批判が返ってくることは承知している。
しかし、そうとも言えないものであることは、そう批判する人も知っているはずだ。 こういう場合「あなた」より「あんた」がふさわしいので「あんた」とした。
個人の努力の問題ではない。やはり世の中にはろくでもない会社と働き甲斐のない仕事が多いのだ。
何故世の中はろくでもない会社と働き甲斐のない仕事が多いのか。
儲けるということと、人に使われるということにすべての原因がある。儲けるということの前にモラルはなく、人に使われて働き甲斐などあるはずがない。
有名大学を出て、大手の会社に就職すれば、まともな会社に入り、まともな仕事をしている、ということになるのだろうか。経験がないから何とも言えないが、大手損保会社とビッグモーターとの関係などを見ると大会社でもまともではない。儲けるということは犯罪と紙一重であることが良く判る。
人もうらやむ大会社に就職し定年を迎えた人が、生きがいを求めて第2の人生探しをする話はよく聞くが、自営をしてきた人から生きがいとか、第2の人生という話はあまり聞かない。
給料というものは、「上前をはねる」ものである。サラリーマンとはそれを我慢するか否か、ということになる。
誰でも独立したい。しかしそれができる人とできない人がいる、という言葉は独立しなかった人が言う言葉である。しかしそれはいいわけではない。独立したくてもできない事情というものが多くあるのが人生である。
息子の転職が本決まりになったようだ。関西の私立大学に勤めるらしい。
大学組織の、あるポジションの責任者としての役職も決まったようである。
先鋭的な企業戦士からアカデミーの世界に入ることになる。
息子の転職を親として、同じ社会人として理解できないということは全くない。と言って褒めてあげたいという気でもない。
ただ一つ思うことがある。食べるための転職ではなく、生きがいのための転職であると推測しているが、そうであることは幸せなことだ。
私の転職は食べるためのものであった。なんの生きがいも、やりがいも、高揚感もない転職であった。
充分食べていける会社を辞めて新しい仕事に就く。そういう時期なのだろう。
息子の転職先は、私が尊敬する民法学者が戦後学長を務めた大学である。
時の権力に屈せず信念を貫いた人であった。
儲けと向かいあうのではなく、人間と向かいあう社会は、人が捨て去ってしまったものを思い起こさせてくれるかもしれない。企業だけが人生ではない。息子がそのことに気がついたかどうかは知るところではない。
素晴らしい人たちに囲まれて、今までとは違った人生を経験すしてほしい。息子の転職を心から祝いたい。(了)
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