アメリカの女性学者が戦後その著書で、日本の文化を恥の文化と定義した。彼女の言う日本人の「恥の文化」とは次のようなことらしい。
日本人の行動意識というものは、世間体や周りからの目を気にするもので、道徳観や規範に基づくものではない。日本人が常識的な行動をとるというのも恥をかきたくない、周りから笑われたくない、ということの表れにすぎず、自分のやっていることがバレなければ自分のやったことは悪いとは感じない。
恥の文化というから、日本人は奥ゆかしいとかシャイであるとか節度があるとか、そういうことを言っているのかと思っていたが、日本人はダメな国民であるということを言っていたことになる。
しかし確かに間違ったことは言っていないから文句の言いようがない。
バレなければ自分のやったことは悪いとは感じない。そう言われればその通りで、この文化は現在でも連綿と日本の社会に続いている。
体裁ばかり繕って、裏ではろくでもない事をやっている。
そうかこれが日本の文化であったのか。ビッグモーターなどの悪質さがこれで納得できる。
彼女は日本に来たことがないという。すごい観察力、洞察力である。
アメリカは日本を占領することを当然のように予定していて、日本の国民性を早くから調査していた。日本が勝てるような相手ではない。
この学者は「罪の文化」ということについても論じている。罪の文化と対比することによって恥の文化を明確に説いている。
日本は恥の文化であって罪の文化というものがない、ということがこの学者の指摘である。
罪の文化とは、心の中の道徳意識、内面的な罪の自覚に基づいて善悪を判断することをいう、と定義している。欧米社会がそうであるという。
あまり的確に指摘されると日本人として立つ瀬がないが、確かに旅の恥はかき捨て、ということがある。どこかでアメリカ人に見られていたのであろう。
恥とは何だろうか。難しく考えればきりのないものかもしれないが、学歴がない、流行遅れの古い服を着ている、貧乏である、病気である。安いアパートに住んでいる。どれも恥ずかしいことであるが、それは恥ではない。
小泉首相や安倍首相のアメリカへの追従。これは間違いなく恥である。世間にではなく世界に恥をさらした。
道徳意識をもって行動すること大事なことだと思うが、どうして日本人は「恥の文化」になってしまったのだろうか。
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