私の子供達がまだ幼い頃のことであるが、母は孫と会うたびに、「ろくなもの食ってねぇんじゃねぇか」とよく口にしていた。
私は母の言葉には子供の頃から接しているから、特別違和感を持つことはなかったが、ひどい言葉である。茨城弁はあまり響きが汚い。妻には結構こたえた言葉であったようである。
母にすると子供は丸々と太っているのがいいことになっている。普通の体格ではダメなのである。子供を育てている妻に対する配慮というものがない。
母は自分の心配を口にする人であった。思いついたことをなんでも口にしてしまうのである。
これから海外旅行をする人を前にして、「飛行機は落っこちるから怖いよ」と言う。
そんなことを言ってはダメじゃないか、と注意すると、「悪気があって言ったのではない。本当に飛行機は怖いものだ」という。
「落ちたら家族が引き取りに行かなければならない」ということまで口にする。
お嫁さんと一緒に生活できるような人ではなかった。
母は70歳を過ぎて、物が無くなるという話からボケが始まったようだ。「あの子が遊びに来た時から無くなってしまった」、と特定の孫の名前をあげていた。私の子ではなく姉の子である。
80歳を過ぎて完全にボケてしまった。ひどいボケであった。70歳を過ぎるころまではボケたくないと毎日ゆっくりと時間をかけて新聞を読み、日記なども書いていたがなんの効果もなかった。
ボケてから自分でも変なことをしゃべったり、変なことをしているという意識はあったらしい。時折妻に指摘されると、とても不安そうな顔をしていた。可哀そうな母であった。
「あれほどしっかりしていた母が何も分からなくなってしまって」、という話をよく聞くが、どうしっかりしていたのかということが問題な気がする。
ボケる前の、物事に対する考え方がボケに関係するのではないだろうか。
しっかりしていなかった人はボケやすいとは言えないだろうし、物事にこだわる人はボケにくいともいえない。
母は何事にも病的とも言えるような、こだわりを持ってしまう人であった。
若い頃ある女性とつき合っていた時、「夏の日にビヤホールで(私が)おいしそうにビールを飲むのを見るのがとても楽しかった」という文面の、手紙か年賀状か覚えていないが、もらったことがある。
とりとめもない文章を書く人だと思ったが、最近この文面を思い出すことがある。「他人の楽しみを自分の楽しさや喜びにできる」。大切なことかもしれない。この女性はそれ以後家内である。
いろいろな人の言葉を思い出す。いい人も、よくない人もみんな言葉通りの人であった。もちろん私もである。
これでブログを終えようとしたら女房が飛び込んできて、ネットにある「認知症になりやすい人」という項目に私がぴったり当てはまると驚いている。
驚いているというより困ったという顔である。
先のことは分からない。ケセラセラと思うしかない。(了)
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