西田敏行さんが亡くなったことから思い出したのかもしれないが、映画「学校」に、「わたし幸せになれるかもしれない」というセリフがある。
裕木奈江という若い女優さんが、みどりという名の不良少女を演じていて、荒んだ生活からなにか救いを求めたのか、話に聞いていた夜間中学の門前に、知らないうち、というように来てしまう。
ウンチングスタイルでうずくまっているときに、西田敏行さん扮する黒井先生に声をかけられ、「私なんかが入れるのか」と思っていた学校に通えるようになる。
家庭の事情からか中学を卒業できなかった中年の同級生が、それまでの人生からなんの喜びも生きがいも与えられず、貧しいままがんで死んでしまう。
黒井先生は、みんなからイノさんと呼ばれたその男の死を悼み、「幸せとはなんだろう」と、クラスの授業で話し合う。
みどりのセリフは、校門で初めて黒井先生に会い、話を交わしたときに感じたことを述べたものである。不良少女には、黒井先生が魂の救いのように見えたのであろう。この映画での西田さんは実にいい顔をしていた。
幸せという言葉は知っていても、幸せを知らない少女に、「幸せになりたい」ではなく、「幸せになれるかもしれない」といセリフを言わせることは、並大抵のアイデアではない。
昨日の夕方のニュース番組は、強盗と西田敏行さんのことが続いていた。それを見るのもちょっとしんどく、チャンネルを変えた。
見たことのある相棒をやっていた。題名は「消えた女」
相棒は、右京さんが優秀すぎてリアリティに欠けると思っているが、時々なかなかの人生ドラマをやる。
ただそれを演ずるのは残念なことに主役の右京さんではなく、ゲスト俳優たちである。
本仮屋ユイカという女優さんが演ずるやよいというジャーナリストの卵が、自分を命の危険にまでさらした女性が警察に勾留されたことを知って、右京らと共に面会に行く。
ドラマの流れからすればやよいはこの女性に、「どうしてあんなことをしたの」と責めるところであるが、「怖かったよね」と優しく声をかける。
この女性は政治家などを相手にする高級娼婦という設定で、殺人現場を見てしまったことから脅迫され、監禁されていた。
やよいと目を合わせることもなく、「何か用?」とふてくされた顔で応対した女性は、その意外な言葉に緊張が解けたのか、感極まったのか、穏やかな表情に変わり、「ごめんね」と謝る。
「怖かったね」ではなく「怖かったよね」という言葉に、思いやりの深さがある。
この場面設定はすごい。この最後のシーンのために何十分を費やしたようだ。
「右京のスーツ」は、コメディアン小松政夫さんを名優にした。
むかし「アジャパー」と言うほか芸の無かった喜劇役者が、「飢餓海峡」という映画で、人間味あふれる老刑事を演じた。
人生には楽園も必要かもしれないが、いいセリフも必要である。
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