夫と妻、どちらが先に逝くのがいいだろうか、などと単なる話題として話をしているときは「まあ私の方が先でしょう」と夫が言うのが普通であるが、女房と自分とどっちが先だろう、と具体性を帯びてくる歳になると事は違う。絶対女房が先では困る。
私は炊事洗濯まるでダメである。なにより妻に先立たれては朝食に困る。私の趣味は朝食である。女房に先立たれては、どっちが先かという問題より先に、死活問題なのである。
人生100年と言われるようになった。100歳を超えた人をテレビや新聞で知るのではなく、私の周囲に何人もいるようになった。
若い頃お世話になったアパートの家主さんは今年100歳になる。いまだにアパートの管理から確定申告までされているという。
婿さんのおばあさんは100歳を超えているが、祝い事に対するお礼の言葉には、私の家族に対する思いを寄せるなど100才とは思えぬ気配りがある。
元気で生きていれば100才だろうが50才だろうが、少々体の動きは悪くなっても違いがある訳ではない。
病気さえしなければ人間何歳までも生きられる。そんな気になるが、ひとつ気がかりなのはやはりボケである。
女房と私と、どっちが年寄り顔かということになった。家族からは断然私だ、と指摘された。そうかなあ、まだ頭髪も刈って捨てるほどあるし、肌の色つやも失せたわけではない。
今のところ狭窄症のため、多少歩行困難をきたしているが、腰や背中が曲がっているわけでもない。そういうと「イヤイヤ甘いね。立派な年寄り顔だね」と思いやりのない言葉が返ってくる。
こう見えても(見せていないが)若い頃は松方弘樹や北大路欣也に似ていると言われたものである。今思うとこの二人の顔つきはぜんぜん違う。どこが誰にどう似ていたと言うのか、無責任じゃないか、と思うが、昔は映画俳優に似ていると言えば褒めたことになったものである。
上の歯は一部を残して義歯になってしまった。頼りない生活をしている。
「私も入れ歯を入れるような歳になってしまった」と、かかりつけの若い歯科医に言うと「そのお歳で下の歯が残っている人は滅多にいませんよ」と激励してくれる。
「そうかまだいい方なんだな」と少しは気が晴れる。しかし家族のいう言葉に嘘はないだろう。子供の頃から嘘をついてはいけないと言ってきた。知らず知らず歩いてきた細く長い道。家の近所に川の流れはないが、いつしか私も年寄り顔になってしまったようだ。
最近はひげを剃るのも面倒で、伸ばしっぱなし、にはしていないが、適当に白いひげ面にしている。
知り合いが、仲代達也のようですね、と言う。やはり映画俳優の名が出る。知人は褒めたつもりであろうが、私はあまり好きな役者さんではない。
そう言うなら草刈正雄という名を聞きたかったが、さすがにそこまでの嘘はつけないということだろう。彼はひげをのばしていない。
草刈正雄。若い頃からいい男であった。確か化粧品会社のCMでデビューしたと思う。日本人にこんなハンサムがいるのかとびっくりしたが、ハーフであるらしい。
ハーフと聞いてほっとした。「そうだよな、あんなハンサムが日本人だったら大変なことだよなあ」と、とにかく大変なことにして納得したのであった。
草刈正雄ではなく年寄り顔のことを書いていたのであった。私の顔も北大路欣也から始まって幾多の変遷を経た後、落ち着く先は仲代達也となった。
まあそれもいいかな、と思っているさなか「お父さんは基本的に西田敏行ですよ」と言う婿さんの言葉があった。人の顔を指して「基本的に」などという掘り起こしたような言葉は使うものではない。しかし残念なことに婿さんのいうことが正しいかもしれない。所詮は他人だ。
もしも妻に先立たれたら後を追うような勇気は私にはない。では娘の世話になるか。でもイヤな顔をされるだろうな、無理な話だろうな、と思うことに自信と確信がある。
もっと優しくしてあげればよかった。もっとこずかいをあげればよかったと思うが、それを取り戻すにはもはや時間がない。
余計なことをここで思いだしたのだが、「自信が確信に変わった」という野球の松坂選手の言葉である。
自信という言葉は確信という言葉に変わるものであろうかと聴くたびに不思議に思う。「確信が自信に変わった」と逆に言っても、文章としておかしくない。
スポーツ選手の言葉に意味を考える方がおかしいのかもしれない。あの長嶋さんの言葉をいちいち批判していたらあれほどの活躍はしなかったかもしれない。
スポーツ選手において大切なのは言葉の意味ではない。言葉の数である。息子の一茂さんは野球では父親の血をひかなかったようだが言葉は引いたようだ。父親以上かも知れない。何事も親を超えることは大事なことである。
また話を戻さなければならないが、そもそも戻すような大事な事を書いていたわけではなかった。
人生100年。確かに夢物語ではなく現実になってきた。母は99才で亡くなったが、餅を詰まらせて施設で亡くなった。事故がなければ100才は生きたであろう。叔母は102才であった。自分もそうありたいが、自分の年が判る100才でありたいと思う。
以前仕事で高齢者の意思確認をするため高齢者施設によく行った。6畳くらいの空間にベッド、浴室、洗面所などが備え付けてある。人が生きていく場所である。特殊な場所であるはずはないが、やはり特殊に見える。
自分もいずれは、という気がしないでもない。しかし私は「夏は涼しく冬は暖かい」という部屋がどうもダメなのである。(了)
コメント