年の瀬のつれづれに

つぶやき

 今年もあと1週間を切った。早い1年だったのか遅い1年だったのか。私にとっては病院通いに明け暮れた1年であったが、元気に歳末を迎えられたことは、なによりも喜びとしなければならない。

 2月にプーチンがウクライナ侵略を始めた。いまだ侵略をやめる気はないようだ。生活基盤に対する攻撃がされ、ウクライナの人々は電気もガスも使えない生活をしているという。なんということだろうか。

 安倍晋三氏が凶弾に倒れた。誰も思いもしない事態が起きた。あれほど良くも悪くも政治に影響を持っていた人が突然いなくなった。

 私は、安倍さんは総理大臣をやめた後、憲法改悪、軍備増強、言論統制立法などに暗躍するものと思っていた。

 国葬論議があったが、やはり岸田首相に対する批判は今も収まらない。防衛費増税も国葬を言い出した時と同じような雰囲気がある。

 コロナは3年が過ぎたというのに治まる気配はない。人々はコロナ疲れともいうべき状態で、怖くもあり、風邪と同じだという考えもある。

 2月に叔母が、8月に義兄が亡くなった。その後義兄の息子とは連絡のやりとりはない。人づきあいが嫌いなのか、いとこ達とも連絡をしていないようだ。

 小さい頃から愛想のない子であった。いま松本の山の中で親子3人で暮らしている。美大を出ているが今は靴職人のようなことをしているらしい。

 そういう暮らしが一番自分に合っているとして始めた生活なのであろう。なにか手を差し伸べてあげたいが、そういう暮らしに他人は手を差し伸べてはいけないのかもしれない。

 男の孫2人が高校に進学した。娘の子は一人っ子であるから、いとこ同士いつまでも仲良くつき合えたらいい。

 孫たちも早や親離れ、祖父祖母離れである。孫が成長することは楽しみであるが、時とともに寂しさも味わうことになる。

 昨年は家の外回りの工事をし、今年は屋根と外壁の塗装工事をした。来年1月には風呂の改装を予定している。

 そんな歳で家の修理など必要ない、という考えもあるし、そんな歳だからやっておく、という考えもある。いずれも事の成り行きで始めてしまった工事なので、大きなお金を使ってまで本当に必要だったのかどうか、なんとも分からない。

 つい何年か前まで考えたことはなかったが、私が先か妻が先か、ということがそんなに遠い話ではないことになってきた。

 私は私が先だと思っているので、一人暮らしになった妻が居心地よく快適な生活ができるような住まいにしてあげたいと思っている。

 もし私が後なら、ゴミ屋敷になることは確実だからリフォームは無駄ということになる。

 年末は年の暮れ、年の瀬ともいう。瀬というのは流れの早い川のことを言う。むかしは年末のツケ払いだったから、払う方も受けとる方もあわただしく忙しい。そのことを瀬という字で表現したものらしい。

 子供の頃、大人たちが何か忙しそうに動き回るのが楽しかった。

 大みそかの夜、いつも枕元に新しい下着が置いてあった。元日の朝、新しい下着を着るのである。裸になって着替えるわけであるから寒い。その寒さが正月が来たことを感じさせるのである。

 また新しい年が来る。新しい年はいい年であることが定番であったが、最近はそうでもない。

 日本は確実に悪い方向に進んでいると、新聞などは当たり前のように記事にしている。

 今まで世界でもトップクラスと言われていたことが、最近ではあの国にもこの国にも劣る、というところまでランクが下がってきた。どうしてこんなことになってきたのであろうか。

 ある大学教授が新聞に書いていたことであるが、日本人はみな出過ぎたことはしないようになってしまったという。

 会社では上役の機嫌をとることばかり気をとられ、学生たちも何かしようという意欲がない。それがここ何十年も続いている。日本が衰退するのも当然である、と言うのである。

 来年のことを言うと鬼が笑うというが、最近の世相を見れば鬼も笑わないのではないか。
 仕事をやめ、つれづれなる年の瀬である。(了)

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