川崎市での女性殺人事件の犯人は捕まったが、あんな経緯では警察に対する批判が続出するのも当然である。
「必要な措置を講じていた」と警察はいつもの通りの釈明だが、その必要な措置とやらが何の役にもたたなかった、ということではないか。必要な措置を講じることが警察の任務ではない。
ストーカーによる殺人事件は神奈川県警にしても初めてのことではない。二度とこのような事件が起きないよう万全を期す、と言ったのは何年前のことか。
ある識者は、「ストーカー行為を犯罪と認識していないのではないか」と指摘しているが、犯人と被害者の関係を「痴話げんか」と捉えているような節もある。
神奈川県警は不祥事が多い。警察官による盗撮やセクハラ行為は日常茶飯事で、逮捕した女性への留置場での強姦など、警察官のモラルなどという前に、警察自体が犯罪組織のようである。
警察官の服装で公務中に空き巣に入ったという事件もあり、成績のため事件をでっちあげるなどということは当たり前のように行われている。
オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件では、被害者である坂本堤弁護士が労働運動に関わっていた反体制派であることから、現場の状況が相反するものであったにもかかわらず、単なる失踪・夜逃げと決めつけ、適切な捜査をしなかった。
県警警察官による覚せい剤使用事件では、当時の警察本部長ら5人が隠ぺい工作により有罪となった。警察本部長経験者が有罪になったのは国内の警察史上初めてで、戦後最悪の警察不祥事と称された。
何かある警察署なのであろう。
多分前にもこのブログに書いたことがあるはずだが、警察というところは市民が思っているような正義の味方ではない。私はそれを3度ほど経験したことがある。
今回の川崎の事件の被害者や家族は、「助けて欲しい」と相談したはずだが、警察には「助ける」ということに対する専門部署も意識もないのである。
犯罪を未然に防ぐことこそ警察の仕事と思うが、警察はそんなことを考えてはいない。その違いが市民と警察の間に埋めようもない溝となっている。
私の経験のひとつは恐喝である。タイプ印刷で作った薄っぺらな本を50万円で買ってくれというのである。相手は右翼団体。買わなければ街宣車で説明に来るという。
警察の掲示板には「暴力や脅しに屈することなく、警察に相談しましょう」というポスターが貼ってある。警察に出かけて警察の対応を期待したが、全く相手にしてくれない。
「買うか買わないかはあなたの自由。暴力を振るわれて怪我でもしたというなら、被害届を出してください」
川崎の事件はストーカー殺人であるが、警察の対応は同じようなことだったのではないだろうか。
被害者救済とか被害者の立場尊重とかが言われているが、言っているのはメデイァや社会団体で、警察は一度もそんなことは言っていない。
残念なことであるが、警察にとって被害者のことは頭にないのである。
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