「川の流れのように」の遥か30年近くも前に、「川は流れる」は街に流れていた。
「川の流れのように」は制作意図が透けて見えるような安直な歌であったが、「川は流れる」という歌には世の中に迫るものがあった。
それを歌った仲宗根美樹さんが亡くなった。79歳。肺がん。歌ったときはまだ10代であった。
こういう歌があるんだ。こういう歌い方があるんだ、という歌であった。
私はまだ中学3年生くらいだったと思うが、この歌には強い印象を受けた。しかし仲宗根さんのファンになったということはない。好きなタイプではない。
「わくらばを 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる」
わくらばが病葉であることを知ったのはずいぶん後のことである。
歌詞の意味を理解することなく聴いていたが、あらためて読んでみると寂しい歌である。
何年か前に、娘さんと一緒に出演された「徹子の部屋」で拝見したが、相変わらずうっとうしい濃い顔の人であった。
「川は流れる」はかなり冷めた歌であるが、どういうわけか仲宗根さんの顔に合っていた。確かに「嘆くまい 明日は明るく」なりそうであった。
この歌の1年前になる昭和35年に「アカシアの雨がやむとき」が発表されている。
「川は流れる」と同じように100万枚をこえるヒット曲となったらしいが、発表当時のこの歌を私は知らない。
この歌を知ったのは夜間高校の給食休み時間、コタニというレコード楽器店の店頭においてである。
鼻にかかるような西田佐知子さんの歌声が記憶にある。後年この曲を聴くとレコード店の店先を思い出す。
安保闘争後、反対運動の虚しさに疲れた若者たちが、西田佐知子のハスキーな歌声と廃頽的な詞に共鳴し、歌われたことで広まっていった、という話が伝わっている。
当時のデモを伝えるテレビニュースを編集したは番組では、樺美智子さんの死とともにこの曲がバックに流れていた。
「死んでしまいたい」と歌った歌謡曲は、この曲が初めてのことではないだろうか。
歌謡曲にはいいものとそうでないものがある。誰が決めるものでもない。
いい歌は寂しい歌でも悲しい歌でも心を豊かにする。そうでない歌は賑やかな歌であっても心を荒廃させる。
最近昭和歌謡が見直されているという。多分いい歌だけが見直されるはずである。
仲宗根美樹さんも西田佐知子さんも60年も前のことである。そんな昔の、会った事もない人が今の私に問いかける。人生のはかなさ、人生の虚しさ。ナカソネミキは歌手だった。
そんな時、大谷翔平結婚のニュースが飛び込んできた。相手は?
一般人ではなさそうだ。女子アナ。スポーツ関係者。ひょっとして……。 (了)
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