展覧会の絵

つぶやき

 ムソルグスキーが作曲した展覧会の絵という音楽は、ムソルグスキー作曲 ヴェル編曲 組曲展覧会の絵」、とアナウンサーが紹介するのが定番である。

もともと「組曲展覧会の絵」はピアノのために書かれた曲であるが、ラヴェルが壮大なオーケストラの曲にしたことにより一層人々好かれるようになった。
 ラヴェルの編曲は単なる編曲ではなく、一つの作品となっている。

 「展覧会の絵」はムソルグスキーの友人であり画家であるヴィクトル・ハルトマンの死を悲しみ、遺作展を訪ねたときの印象を10曲の組曲にしたものである。
 の初めにプロムナードという数小節の部分があるがこれが曲の中で何回か形を変えて繰り返される。作曲者自身が亡き友の絵を見て歩く様子を表しているとも言われている。

ラヴェルはこの部分をトランペットのソロにした。

 ストコフスキーこの曲を編曲しているが彼はこの部分をバイオリンのユニゾンにしている。どっちがいいかはなんともいえない。

 展覧会の絵は組曲であるが、最終曲の「キエフの大きな門」に向かって音楽が進んでいくような印象を受ける。
 苦悩から歓喜へはベートーヴェンであるが、やはり音楽には高揚というものが必要である。
 「キエフの大きな門」が歴史的、民族的にどういうものなのか全く知らないが、音楽は壮大に勝利を歌い上げるような、そして敬虔な信仰のようなものも併せて流れていく。

ロシアのウクライナ侵攻に
「今の情勢の中、展覧会の絵の中の一曲『キエフの大きな門』に心を寄せたいのです」とツイッターにつづった女性ピアニストがいた。
 気持ちは分からなくもないが、安易な解釈はおやめになった方がいい。『キエフの大きな門』にどんな意味があるのかしっかり勉強されてから弾いたほうがいい。

 家内の絵のサークルの発表会がこの木曜日から市役所内のギャラリーで始まった。96歳の女性を筆頭に高齢者の会である。何十年も続いている会であるから、高齢者の会になってしまったが、しかし爺さん婆さんの趣味などというレベルではなく、専門家も感嘆するほどの作品ばかりのようである。

 私はあまり絵のことは分からないから特に感想ということもない。
 長年絵を描いていると絵に対する考え方というものも変化していくものと思うが、皆さん、絵は描いても絵について語ることもない。達観の境地ということだろうか。
 
 なん年か前に開催した時は、私は設営にも協力できるほど達者であったが、今は杖を突かなければプロムナードを歩くことができない。
 トランペットで軽やかに奏でられるプロムナードではなく、足を引きずるようなコントラバスの鈍重さが似合うようになってしまった。()

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