小さな花を真ん中に

つぶやき

 今日新聞が休みであることを忘れて取りに行ってしまった。最近新聞休刊日がやたらと多い。
 
 最初の頃、新聞が休むということは報道の責任を放棄することだと思ったが、新聞発行に携わる人たちの労働条件改善のためということであれば納得した。

 テレビ放送が始まって以来、新聞はテレビの番組欄のためにあるようになってしまったが、とっくに巨人は負けているのに、翌朝になって報じたところでニュースメディアとしては役に立たない。

 我が家でとっている新聞もページ数が減り、朝刊にペラも入っている。
 新聞は見開きページが基準であるから面数は4の倍数となるが、ペラが入ると2の倍数となる。めくっているうちにそのページがずり落ちてしまうので貧乏臭い思いをする。

 重複記事が多い。記者たちの転職が続いているらしいが、取材力も落ちているということであろうか。
 記事の質も落ち、ページ数も減ったのに、新聞代は値下げしない。
 新聞記者と言えばかつて超難関の就職先であった。

 新聞の廃刊はそんな先のことではないと思うが、スマホの時代、あんまりネガティブに考えることではないかもしれない。しかし新聞が果たしてきた役割は大きい。

 ずいぶん前のことだが、緒形拳や十朱幸代、江守徹らが出演した新聞社の内紛を題材にした映画があった。映画を観ることなどほとんどなかったが、多分バブル崩壊後の暇を持て余して、駅前の映画館に出かけたのではないかと思う。

 「日本の新聞はインテリが作ってヤクザが売る」という言葉を知ったのはこの映画であったように思う。
 
 詳しい内容は覚えていないが、新聞社の販売部にいる学歴もない粗野な男が、会長の病気とか、社長の腹上死、役員の使い込みなどといった不祥事の中から、最後は自分がエリート社員を失脚させて社長になるというような話である。

 新聞はエリートの仕事であるが、販売はエリートにはできない。何ごとも売ってなんぼの世界である。
 多分30年以上も前の映画だと思うが、日陰者であった新聞拡張員の映画ともいえる。あの頃が新聞社の華であったのかもしれない。

 この映画を覚えているのは映画の面白さではなく、十朱幸代さんの演技が下手だったことである。新聞社の会長の愛人という役なのだが様になっていない。この人はバス通り裏からほとんど変わっていない。

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