病気を機にこのブログを始めたのだが、やはり病気について書くのは気が引ける。
年寄りの会話は相手の話を聞かないことである。一方が、「実はこんな病気になりましてね」、と言い始めたら即座にその話の上書きをするように、「私なんかはもっとひどいですよ」、と自慢話を長々と始めるのが年寄りである。
ブログに病気を書くのもそれと同じことなのではないかと思うのである。そうならないように気をつけて書かなければと思うのだが、文章とは内なる自分そのものである。私もそのような年寄りになっているのかもしれない。
最近の若者は、という言葉があるのだから、最近の年寄りは、という言葉もあっていい。最近の年寄りは昔の年寄りとは違うと思う。経験してきた内容が昔と違うはずであるし、自分を客観視できる習慣を身に着けてきたと思うのである。
昔の年寄りはよくないと言っているのではない。今の年寄りは以前の年寄りと着る物だけではなく考え方も違う。
団塊の世代は戦後の民主教育によって、個人の自由というものを知った世代である。
年寄りという言葉に十把一絡げにされることなく、インテリジェンスをもって自分なりの新しい年寄り像を目指すべきであると思う。
昨日は喉頭がん手術後2年目の最初の検診日であった。これからは2か月に1回の検診になる。
担当医は7月に転勤になるという。転勤先は地方の自衛隊病院であるらしい。
思わず、「戦争にならないといいですね」と口にした。担当医は「そうなんですよ」と、実は私もそれを心配しているのです、という感じで答えていた。
がんの告知から手術、経過観察と1年4か月お世話になった。大変お世話になりました、とお礼を言って最後の検診を受けた。次回から耳鼻咽喉科を離れて、頭頚部腫瘍外来としての患者となるらしい。なんとも怖い名称である。
しかし医療費が高い。保険に入っているのだから安いはずであるが、CTだ、MRIだ、血液検査だということになると1回に1万円近くかかる。
がんの継続的な検診の場合は管理料というのが計上されている。見守り代ということらしい。再発、転移しないのであればいくら高くてもしょうがないと思うが、見守り代に数千円というのも納得しにくいものがある。
私の場合昨年はほぼ無収入であるが、医療費負担はまだ3割である。新しい保険証がいつ届くのか分からないが、脊髄症、狭窄症、喉頭がんと3つの病気がいずれも経過観察であるから、かわりばんこにCTだ、MRIだということになる。
こちらから経過観察の打ち切りを言い出すわけにもいかない。高額医療の金額にまで達すればいいが、手術などがなければそこまではいかない。そこまでいかない金額がかなりの金額になる。その負担が結構身に沁みる。
来月は何もないなと思っていたら大腸検査がある。またポリープができていたらポリープ1個いくらという医療費の計算であるから、4つも5つもあったら数万円である。
あらためて言うまでのことではないが、病気になったら大変である。医療費を払うたびに、というとウソになるが、独身の友人のことを思う。
会社を早期退職したから年金額が少ないのである。私より2歳年下である。シルバー人材センターとかに登録して働いているという。病気になったら面倒を見る人もお金もない。どうするのだろうか。
朝から書き始めたブログを少し書き残し、9時前に脊髄症でかかっている病院に行った。2週間前の血液検査で血糖値やヘモグロビンの数値が高かったからである。
結果は、立派な糖尿病ではあるが治療の対象ではない、ということであった。この状態で放っておいてもいいのか、と質問すると、症状が悪化することはないだろうと言う。
次回の予約も必要ないということだった。勤務医の言うことである。信用できる。
開業医であれば経過観察で次回予約となる。医師もその立場によって言うことが変わるが、少なくとも給料にとりあえず納得している勤務医の言うことは信用していい気がする。(了)
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