昨日は喉頭がんの定期健診の日であった。朝の8時半前に病院に入ったが、いつになくすいている。採血もすぐに終わり、耳鼻咽喉科の診察待ちスペースに入ったのは9時頃であった。9時半の予約であったが、その時間前に名前を呼ばれ、診察室に入った。
「まだ血液検査のデータが届いていないが検診だけ先にやりましょう、血液検査の結果はなにかあればあとで電話で連絡します」と医師が言う。いつもはこの時間の予約であれば診察は11時半頃である。そんなことができるならいつもしてくれればいいのに、と思う。
いつもの通りファイバースコープの診察が終わり、「いまのところ再発はありません」との結果だった。やれやれと思いながら妻にメールを入れる。今日はそばでも食べに行こうという気分になる。
片道900円の高速代を払って、700円のもりそばを食べに川島町いった。
このそば屋は去年イチジクを買いに川島町の農協に行ったとき知った店で、以来ときどき食べに行く。
帰りに川越に回り、歩数計の数字アップも兼ねてデパートに寄ることにした。普段と違う靴を履いていたためか歩きにくい。
頚椎の手術をする前医師が、スリッパは履けますか、と私に質問したことがある。その当時確かにスリッパは履きにくくなっていた。言うまでもないことだが、履物と歩行は大いに関連があるらしい。
デパート内を歩き回ることはあきらめて、いつものベンチで休むことにした。
このデパートには新宿に本店のあるフルーツパーラーが出店している。以前はチョコレートパフェとかストロベリーパフェなど食べたのだが、多少は血糖値を気にしなければいけないこともあり、このところ諦めている。
そうだ娘にケーキでも買っていこうか、という仏心が浮かんだ。娘ともそんなに会話をするでもない。むこうも私と話をするのは面倒のようだし、そんな親子関係には、たまにはケーキ、というのもいいではないか、と思った。
何がいいかとメールすると、普段遅い返信がすぐ返ってきて、季節限定の一番高いケーキを指定する。家族の数を含めてとも指定する。うまいものをよく知っているものだと感心した。
デパートの帰り娘に届けだが、夫や子供の分も食べたくなったらしい。おいしいものを前にすると夫婦関係、親子関係というものが、自分で思っているほど深くはないことを教えてくれるものである。
昔の父親は暇だったろうと思う。パチンコもラジオもテレビもなかった時代のことである。男は家事をしないことになっているのだから、男は家では何もすることがない。何もすることがなく、テレビもなく、ふらっとパチンコをやりに出かけるわけにもいかず、それでも立派なお父様でなければいけないのだから、さぞかし大変な思いをして時間をつぶしていたのではないかと思う。
子供は父親の背中を見て成長するというが、どんな背中を見せることができるというのだろうか。昔の細工職人の仕事のようなものであれば、一日中仕事と向き合う父親の背中は子供に影響を与えるかもしれない。しかしサラリ―マンはどんな背中を子供に見せればいいのだろうか。
子供は父親の背中を見て成長するというのは、父と子の間には会話は存在しない。会話では子は成長しない。父と子の会話には意味がない、ということを言っているのではないだろうか。
テレビや映画で親子間の会話シーンをよく見るが、現実の生活にはないものを描いたものが映画であるという。そうだろうなと思うし、そうあってほしくはないな、という気もある。
息子が小学校3年生か4年生の頃、何度か二人でドライブをした。助手席に座る息子によく戦争の話をした。母から聞いた戦争の話である。
ひととおり話し終わって、お前はどう思うか、と助手席の息子に声をかけるが、そのたび息子は助手席から飛びあがるようにして目を覚ます。寝ていたのである。聞いていない。息子の方が父との会話の意味を知っていたようなのである。
娘とは小学生のころから会話をしたような記憶はほとんどない。女の子であり男親は相談相手にならないのかもしれないし、変り者の私には話しにくかったのかもしれない。その娘も息子も年頃の子供を持つ身になった。親子でどんな会話をしているのか。立ち聞きしてみたい気になる。(了)
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