孫たちのピアノ発表会があった。息子の子供2人である。
1人はこの春高校2年生の男子、もう一人は同じく小学4年生の女子。長引くコロナのせいで入場者は制限され、私たちは会場に行って聴くことができなかった。
よくあることらしいが我が家も同じで、娘は自分の親、つまり私たち夫婦のそばで暮らし、息子はお嫁さんの親のそばで暮らす。
娘の子はそれこそ誕生した日から見ないことはない、といった濃密な孫と年寄りの関係になったが、息子の子となるとそうもいかない。
しかし息子の方にはお嫁さんの親御さんがいるから、孫からすれば生まれたときからおじいちゃん、おばあちゃんがそばにいたことになる。
幼い孫にはおじいちゃん、おばあちゃんが2人づついるより、1人づつの方が分かりやすいかもしれない。孫のためにもそれでいいのであろうし、それぞれの年寄りたちは娘の孫がそばにいるから公平であり、不満もない。
女房がよく言うが、娘の子には遠慮はないが、お嫁さんの子には遠慮がある。たしかにそんな気持ちは世の中の誰にもある。
ピアノ発表会に出た孫2人は遠い横浜に住む。1年に何回、と数える程度しか会っていない孫たちである。
孫娘は幼い頃、私の顔を見ると火がついたように泣き叫んだ。顔に×印でも書いたかのように、顔をくちゃくちゃにして泣くのである。
私はそんなに性格のいい年寄りではないから、本気になって見当違いの女房相手に怒ったこともある。
その孫娘も成長とともに私に笑顔を向けてくれるようになった。あのときいじめなくてよかったと思った。
高校生の孫も、たまに家内がかける電話からやさしい口調で話しかけてくれる。あまり数多く会うことのなかった孫たちの一言や笑い顔に、親しみやいたわりを感じるようになった。
毎日のように会ってきた娘の孫は、会う度に離れていくような寂しさを感じる。長く見守ってきた孫だから気持ちは通じていても、大人になっていく姿を見ることは、年寄りには寂しさとして映ってしまう。
あの小さかった孫から、予定とかスケジュールなどという言葉を聞くとは思いもしなかった。
孫たちが習い事をしているということは、「子どもたちもまあまあ生活はして行けているのだな」、と年寄りの安心につながるものである。
子供にしてみれば、「うまくなったでしょう」、と年寄りに自慢したいものであろうが、年寄りにしてみればなにより、2人も習わせるなんて大変だろう、ということが先にくる。
娘も息子もピアノを習った時期があったが、娘は高校の受験期頃にはやめてしまった。息子の場合は私がやめさせたのかもしれない。
習い事はやはり長く続けて、それなりのものを身に着けた方がいい。
私の習い事はそろばんであった。
漬物工場で働き、毎月前借りしなければならないような生活なのに、母は私と兄をそろばん塾に通わせた。そろばんは何より大切なものだと信じ込んでいたようだ。
ひと昔前の時代ならそうだったのかもしれないが、私たちが社会に出たときはそろばんではなく電卓になっていた。
そろばんは無駄だったのか、と考えてみると、無駄だった、としか言いようがない。わずかに買い物などのとき暗算ができて便利ではある。だがそれだけのことである。母を思い出す。いい人だったなと。
便利な世の中である。ラインで孫たち兄妹の発表会の様子が送られてきた。兄はショパンとドビッシーを弾き、妹は母親と連弾で、花は咲くなのか、おじいさんの大きな古時計なのか、曲名を思い出せなかったが弾いた。
ショパンは軍隊ポロネーズ、ドビッシーは子供の領分の1曲。私はピアノは良く分からないが、やはりピアノ音楽はなんといってもショパンということになるだろう。
私が最も多くCDプレーヤーに入れる曲は、ショパンの1番のコンチェルトである。冒頭のアウフタクトで始まる3拍子のメロディは並みのメロディではない。
若さや作曲技法の拙さを指摘する人もいるが、技法はいつでも手に入れることはできる。しかしメロディは天性のものである。
孫が軍隊ポロネーズを弾いた。子供の手では弾けない音域がある。それだけ成長したということだろう。
ピアノを習ったらショパンを弾けるまでやらなければ意味がない。
ピアノという打楽器に、あれほどの歌の心と華麗な響きを与えた作曲家はショパン以外にいない。ショパンを弾かなければピアノの素晴らしさの、少なくとも半分以上は知らないで終わってしまうことになる。
孫も照れたのか緊張したのか、演奏のはじめ余計な仕草を見せたが、ポロネーズを弾いた。
軍隊という名称がつくが関係ない。ショパンは自分の曲に曲名を付けたことがない。軍隊などと名がついたことをショパンが知ればきっと怒るだろう。こんな名称はない方がいい。
ポロネーズはポーランドの農民の舞曲である。平和な人々の踊りである。孫はその3拍子に身をまかせるように弾いていた。人生を豊かにするような、とてもいい習い事をしてきたと思うピアノであった。(了)
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