年金と預金を崩しながらの生活をするようになって10カ月近くたった。
仕事をしなければ収入がないのは当然のことであるが、本当に一銭のお金も入ってこない。人生初めての経験である。
一銭のお金も入ってこないということはやはり不安につながるものがある。そのうち慣れるものなのであろうか。
預金というのは収入があるから預金であって、収入がなくなれば生活資金である。
預金には増やす楽しみがあるが、預金が生活資金となっては減るだけである。減ってうれしいのは血糖値だけである。
年金は国民年金であるから大した額になる訳でもない。自営で、死ぬまでできる仕事であったから、病気になったとはいえ、もったいないことをしたといつも思う。
しかし仕事をやめるについては、その時それなりの考えに基づいて決めたことであるから目を転じて、何か別の新しいことにでも関心をもって残りの人生を送るべきではないか、と考えることもある。
幸いがんは今のところ体調に影響するようなこともなく、頚椎症などで多少歩きにくさはあっても歩けないわけではない。
という具合に、仕事をやめてからいろいろ今後の人生を考えるが、正直なところ気持ちがどこかに落ち着いたわけではない。
最近一つの傾向と言っていいのかもしれないが、今までの考え方なり気持ちの持ち方といったことに否定的な主張が目立つようになった。そのような内容の本が何点も出版されている。
「人生とは孤独である」「友人を求めるな」「家族愛など信じるな」「人生は素晴らしいものではない」「母親が苦しみの原因である」「親を捨てろ」「人を信じるな」「人は裏切るものである」
私はこのような本を読んではいないから内容については何も言えないが、このようなテーマを掲げて作者が本を書くということに興味がある。
いずれも昔から言われていたことであり、誰もが実感し、あるいは薄々感じてきたことでもある。作者が発見したものでもない。
誰もが実感してきたことを「やっぱりそうか」と思い当たるきっかけのようなものである。
私は他人様(ひとさま)のブログはあまり読んだことがない。先日、私と同年代の男性の書かれたブログの見出しが気になり本文を読んだ。
人は孤独である、ということが趣旨であり、人との関係を持ちたいと思うが、それは人に傷つけられるものである、と述べている。人は孤独に耐えるしかない、とさえ言っている。
かなり悲惨な人生を送ってきた人のようである。
高齢者のブログと言えば、「今日庭のバラが咲きました」「おいしくランチをいただきました」「ゲートボールの後のビールがうまかった」などの記事ばかりと思っていたが、人間不信の文章もあっていいのではないかと思う。
今朝の新聞に「和を乱さない社会」「議論を避ける日本人」と題する大学教授の論説が掲載されていた。
特に新しいことが記載されていたわけではない。個人の意見を持つことがなにより大事である、とこの教授は述べているから、「和を乱さない社会」「議論を避ける日本人」はいいことではない、ということを言っていることになる。
このテーマはずいぶん古くから論じられ、いっときは、だから日本人はダメなのだ、という主張の根拠に使われたこともある。
しかし結局何らかの結論が出たということはない。相変わらず日本人は和を乱さないし、議論を避ける。
日本人は和は乱さないが孤独な社会である。議論を避けても人同士が仲がいいわけでもない。なんのために和を乱さないのか、なんのために議論を避けるのか。大学教授が論文を書いたところで日本の社会は変わりようもない。
イタリアかイギリスかドイツか覚えていないが、居酒屋というかレストランなどで人々が陽気に酒を飲み、うまいものを食べ、歌を歌う姿をテレビで何度も見たことがある。食べて飲んでこその人生。みんなメタボだがそんなことは気にしない。
この中の誰かが最愛の女房を亡くしたとしたら、残された男は寂しさに打ちのめされるだろうが、この人々はきっとその寂しさを癒すだろう。
日本人はそれができるだろうか。そっとしてあげた方がいい、と考える人が大半である。関わらないほうがいいということである。(了)
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