孤独な人の孤独な死

つぶやき

 昨日、名古屋の警察署から家内の携帯にショートメールが入った。
 メールには、家内のいとこになる男性の名前が記載されていたが、用件の記載はなく、「連絡ください」ということであった。

 私はそのことを聞いて、死んだのだろうと思った。
 家内が電話を入れると、自宅で死亡しているのが発見され、検視をした結果事件性がないので、今晩中にでも遺体を引き取りに来てほしい、ということであった。

 そんな突然急なことができるわけがない。それよりも、なぜ家内の携帯番号を警察は知っていたのだろうか。そのことを確認するように家内に言うと、高齢者巡回の中で、本人から告げられた緊急連絡先だという。

 いとこは今年77歳になる。結婚の経験はなく、兄弟もなく子供もいない。東京のトップクラスの大学を出たが、親のことを含めて家庭的にはあまり恵まれた人ではなかった。
 子供のころ、母親の姉妹の家に預けられるような境遇であり、家内もそのことから幼い頃一緒に生活をしていたことがあったようだ。
 
 大学を出て何か思うところがあったのか、東京を離れ、名古屋に移り住み、生涯を名古屋で終えた。
 彼の母親が亡くなった時葬儀であったことが最初で、50数年の間2、3度くらいしか会ったことがない。

 相続人がいない人の死である。相続人がいなくても親族がいる場合がある。いとこの関係である。
 死んだ人に全く財産がなく、付き合いもあまりないのに相続人になってしまう場合がある。叔母・姪の関係である。
 いずれも面倒で厄介な関係である。

 自分の死後のことに関して相続人のいる人は、「子供たちに迷惑はかけられない」と、いろいろ金銭面とか行政上の手続きなどについて生前に準備をする。
 しかし相続人のいない高齢者は、「自分が死んだら人様に迷惑がかかる」ということは認識していながら、何もしないで死んでしまう人が多い。 

 実は、家内のいとこの死に対して正直なところ腹を立てている。
 死んだ人を責めてはいけないが、もともと命に関わる持病を持っていた人である。自分が死んだら誰に迷惑がかかるか承知していたはずである。
 「まさか死ぬとは思ってもいなかった」、と生きていたら言いたいのかもしれないが、死とはだんだんではない、突然のことである。

 相続人のいない親族の死で、以前要らぬ出費や面倒を求められたことがある。家内の父親は長男ということからそういうことになってしまうのか、いい言葉ではないが貧乏くじを引いたということになる。

 人生、誰かが死を見届けてあげなければならないものか。人間としての義務なのだろうか。
 家内は「死んだ人をほっとくわけにはいかない」と、今日名古屋に向かった。私は自分の言葉を恥じた。

 いとこには、「後見人を選任して、くれぐれも遠い親戚に迷惑をかけないようにしてくれ」と家内を通じて言ってきたが、にもかかわらず、彼は家内の携帯番号を緊急連絡先にしていた。
 
 子供の頃、家内の家に預けられ、一緒に遊んだ思い出がそうさせたのであろうか。
 家内の携帯番号が緊急連絡先と聞いて、なんと勝手なことを、と思ったが、彼は家内に心の安らぎを感じていたのかもしれない。緊急連絡先はどうしても家内にしたかったのであろう。
 孤独であった人が孤独なまま死んでしまった。心からご冥福を祈る

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