我が家の薔薇の季節もとっくに終わった。私が名前を知っている花は薔薇くらいなものなので、今庭に咲く花の名前はほとんど分からない。
アジサイが蕾を持ったようだと妻が言う。5月が終われば梅雨の季節となる。昔は梅雨らしい梅雨だったような気がするが、今はカラ梅雨か集中豪雨ということになったようだ。
子供の頃のノートの表紙にカタツムリの絵があった。梅雨はあまりいい季節ではないが、幼い頃の思い出にはそんなに嫌な記憶はない。
先日2カ月ぶりの頚髄症の検診であった。MRIの20分は結構長い。首周りのことであるからあの音がうるさくてしようがない。
コンコンコンと最初の音は挨拶なのだろうか。このところ目や鼻の周りがむずむずとかゆいので、検査中にかゆくなっ困るなと思いながら検査台に乗った。幸いかゆみは生じなかった。
画像診断では術後の変化はない、ということであった。体の動きのテストも良好ということであったが、歩くと足が重いことを医師に伝えた。
整形外科の医師としては痛みが取れればそれでよしということなのか、歩きにくいことにはあまり関心を持たないようだ。
頚椎症性脊髄症の手術をしたのに足が重い、疲れやすい、歩きにくいという話をよく聞く。リハビリに通ってもあまり効果がなく、鍼灸にかかってもその時は回復するが、すぐに元に戻ってしまうという。若い人から聞いた話である。
そういえば演歌の大御所と言われる人もこの手術をしたが、車いすの生活らしい。
首の頚髄症でも腰の狭窄症でも原因は頚椎や腰椎による脊髄の圧迫ということだが、神経が束になっているところが脊髄ということだから、ちょっとした圧迫の違いで症状が異なることになるようだ。
先日40年近く連絡を取り合うことのできなかった人と電話で話をすることができた。私と同じ歳である。2年前に奥さんをがんで亡くされ、本人は数年前から筋肉が萎縮する病気に罹っていると言う。
なんと言って電話を切ればいいのだろうか。また会いましょうとも言えない。
人間元気なうちは元気。若いうちは若い。当たり前のことだが病気というものは突然である。若さも、ある年齢を超えると老いになる。
隠居するということは仕事を離れ残りの人生を生きることであり、場合によっては病との関りでもある。いろいろ人生を考えざるを得ないことにる。
我が町も駅が新設され、開発されてから50年近い月日が経つ。東京近郊のベッドタウンであるから、当初の住民は30代から40代前半のサラリーマンが大半だったようだ。
人の入れ替わりは当然あったとしても、駅に近いことから住み続けた人が多かったのではないかと思う。ほとんどの人が80代になる。何年か前まで駅前で立ち話をした人を最近全く見かけなくなった。
限界集落は東京23区にもあるそうである。この町も大型スーパーの撤退が決まり、駅前はクリニックと葬儀社だらけである。(了)
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